お断り:このページは、旧サイトのデザインになっており、ナビゲーションメニュー等が一部異なることをご了承ください。
 
 文教科学委員会 質問

2001年11月27日 

○鈴木 寛
 民主党・新緑風会の鈴木 寛でございます。
 本日は、四人の参考人の方々から大変に有意義なお話をありがとうございました。学力低下問題をめぐるいろいろな問題の所在がいろんな観点から非常に鳥瞰できたのではないか、大変によかったなというふうに思います。
 御議論を聞いておりまして、まず私の感想なんでございますけれども、私も大学の現場におりました。それ以前は産業政策に携わる現場におりましたけれども、下谷参考人の認識しておられる、あるいは村山参考人が認識しておられる現状ということについては私も意見を同じくするわけでございまして、確かに現在のいわゆる若者、若者を一くくりにすることもいかがかとは思いますが、いわゆる典型的な小学校、中学校、高校教育を受け、そして大学というところに進んできている学生の特徴を見ますと、そうでない若者については、むしろ僕は創造的な若者が大変育っているということをあわせ申し上げたいわけであります。
 少なくとも、日本の学校教育が想定をしてきた指導要領に基づいて教育をなされた今の若者が、結果、論理的思考力あるいは学ぶ意欲といいますか、動機づけといった点に何らかの問題があるということは、恐らく多くの方々の共通認識ではないかなということでございますし、私もそのことを共有するわけであります。
 そうした中で私は、これは藤田先生が大変にクリアな整理をしていただきまして本当に感謝を申し上げたいわけであります。今、学力低下論が大変に混沌としておりますけれども、きょうは藤田先生の整理で非常にすっきりいたしまして、恐らく委員の皆様方もそういう思いを持っているというふうに思いますけれども、やや気をつけていきたいなと思いますのは、やはり学力とは何であるかということについての議論をいま一度深めてみる必要があるということを再確認させていただきました。
 藤原参考人からは、新しい学力観について、情報処理能力から情報編集力へと、それから国語、算数、理科、社会にかわるロジックでありますとかシミュレーション、ロールプレーイング、コミュニケーション、プレゼンテーション、こういう新しい学力観が提示をされましたけれども、私たちがやっぱりやらなければいけないと思いますのは、今の義務教育体系は一九〇〇年に大体九割を超える就学を達成して、ちょうど百年間この体系で来たわけであります。このことは、日本がやっぱり近代社会といいますか、近代工業産業社会にどういうふうにキャッチアップしていくかというパラダイムのもとで、その社会に出ていく前段階にある若者たちにまさにどういう生きる力を身につけるかということで構築されてきたものであったというふうに思っております。
 今、恐らく我々が議論しなければいけないのは、二十世紀の工業社会というものが二十一世紀に変容しつつある。まさに産業社会から情報社会に社会観というものが変わってきていて、私が申し上げている情報社会というのは決してIT社会のことを言っているわけではございませんで、情報というものがより価値を持つ時代、あるいはもうちょっと言いますと、知とか知恵というものがより価値を持つ時代、こういう時代に入ってくるのではないかというふうに思っております。
 でありますから、例えば物づくりというものを見ても、恐らく知恵という部分が物づくりの中でより相対的に重要な役割を持ってきているということでありますから、物づくりの中においてもこの知的部分、知恵の部分というものが非常に重要になってくるという意味で、物づくりすらこの情報化社会に移行しているんだろう、あるいは知の時代に移行しているんだろうというふうに思います。そうした、社会がどういうふうに変わっていくのかということをきちっと我々がイメージして、そのもとでのこの生きる力が何であるのかということをやはりもう一度議論し直した上で、この学力観についての議論を再編成、再構築していくことが大事だなということを私もきょうは再認識させていただきました。
 そういう中で、私は情報社会というのはどういう社会かなと。先ほど、知というもの、知恵というものが大事だということを申し上げましたけれども、もう一つはやっぱり非常に多元的な社会になるということが情報社会の一つの特徴だと思います。いろいろな文化的な背景あるいはいろいろなバックグラウンドを持った多様な他者と、これから好むと好まざるとにかかわらずつき合っていかなければいけない。あるいは、我々そうした社会に生きる者は、多様な出会いとか多様な局面に日々直面をする、要するに違った状況と遭遇するチャンスというものが大変多くなってくるわけでありまして、そうした不測の事態、不確実性に対してどのように対応していくのかということがこれから極めて重要な新しい社会を生きる力だというふうに私は思います。
 そういう中で、私は以前から、やはりこれからの教育においては判断力とコミュニケーション力というものが非常に重要なキーワードになるというふうに思っております。その中で、判断力も、いわゆる真善美という言葉がありますが、何が真で何が偽か、あるいは何が善で何が悪なのか、何が美しくて何が醜いのかと、そういったことをきちっと判断していき、そしてそれぞれの判断というのは個々人ちょっとずつ違うわけでありまして、しかし他者の判断というものを尊重しながら、まさに他者とコミュニケーションを交わしていく。そして、その前提としては、もちろん他者が何を言っているのかということを理解し、それを再編集し、そして他者に伝えていくというプレゼンテーション。きょう、参考人の先生方がおっしゃっていることというのは、ほぼそういうことと同じことなのかなというふうな思いで聞かせていただいたわけであります。
 私、ぜひともこの委員会の理解としておきたいなということを一つ申し上げたいわけでありますが、これは藤田先生もおっしゃっておられました。結局、論理的思考とか情報編集力とかという新しい時代を生きる力を身につける上で、先ほど下谷先生からの報告書の中にもございましたけれども、やや論理的思考能力がおっこちていることは問題だ、ここについては私も全く同感でございます。
 しかし、その対応策といいますか解決策が、理数系の時間の削減を、またふやせばもとに戻るのかというと、実はそうではないんではないかという気がいたしておりまして、まさに考えることについての動機づけというものをどうやって我々はこれから創意工夫しながらうまくつくっていったらいいのか。まさに教え込むということと、思考力あるいはその動機づけということとは相入れないのではないかというような気もいたしましたのでございます。
 その点については、ちょっと下谷参考人にお伺いをしたいわけでありますが、もちろん基礎的ないわゆる数学とか英語とか国語、これは藤田参考人の言をかりれば、ここについてのある程度の基礎的な充実ということは必要であるかもしれませんけれども、特に藤原参考人から示されました理科とか社会とかということについては、これは単なる時間ではなくて、むしろそこへの持っていき方ではないかという御意見についてどのように思われるかということについて、少し御所見を賜りたいというふうに思います。

○参考人(下谷昌久君)
 先ほど申しましたように、きのうシンポジウムをやりましたので、そこで一つ出ました御意見を御紹介したいと思いますが、これは塾の先生であります。
 塾の先生というのは毎日毎日生徒と接しておられます。直接接しているし、それから親御さんの御意見も聞きます。それで、その先生は大変もうまじめな先生でございますので本当に悩んで、きのう意見を言われたんですけれども、私たちは子供たちに考えないことを教えていると、毎日。考えないように考えないように教えると。それは実は学校も一緒だと、小学生で、おっしゃいました。
 塾ですから、上の学校へ受験で通るようにというのは親御さんの期待であります。だから、それでやりますと、問題が並んでいる、難しい問題に出会うとどうするかというと、それで考えたらだめ、先へ行きなさいと。それで、易しい問題で点を稼ぎなさいということを言わないかぬ。子供たちももうそれでなれてきているから、ですからそういうことで考えなくなってきていると。
 その先生がおっしゃいましたのは、もうマキシマム十秒ですなと。十秒たったら、先生、答えを言ってくださいとなります。たまにその中で三分ぐらい考える子が出てきたら、もう涙が出るほどうれしい。だけれども、そんな子はどうかというと、そんな子は学校の成績は悪いんです。それで、上の学校へ行けなくなる。テストもそういうことでやりますから、幾つ答えられるんだと脊髄反応みたいなのでやるものですから、余り大脳は使わない。そういうふうなことでずっと行っていると。それは大学の受験のところもそうだと。そこまでずっとつながっているんです。だから、それが受験戦争に勝ち抜く道なんだと。
 一つ例をおっしゃいましたけれども、本当は自分が教えたいのは、山がある、山へどうやって登るかというのは自分で道を探して行きなさいということを言いたいんですけれども、そんなことをしていたらだめなので、登り方、足を交互に出してということは教えるけれども、そうしたら、子供たちもとにかく道を教えてください、上がる道を、ルートを教えてくれ、一番近い道を教えてくれと。それで、そのルートを教える。そうすると、そのルートを一生懸命に覚えて、それでやる。ですから、その問題の解き方を教えるわけであって、それがなぜということをあなたが一回考えてごらんなさいということを本当は教えたいんですけれども、その暇はありませんということを塾の先生は悩みでおっしゃいました。
 そうしたら、大学の数学科の先生がおられまして、それを受けられまして、教授なんですけれども、全くそうだということで、お聞きしましたら、数学科でも、子供たちは、昔のようにこうでこうでこうでと、証明問題ですね、ゆえにというのを昔よく搾られたんですが、ああいうことに余り接しないと。図形のところではあるけれどもということで、どうしてもマル・ペケ思考的になるということをおっしゃっていましたね。
 ですから、鈴木先生の御質問でございますけれども、論理的思考力、きのう実はいっぱい議論したんです。私たち企業もやらないかぬことであります。どうしたらいいんだろうということでいろいろ議論したんですけれども、答えはきっちりは出ないんですけれども、どうもこの教育体系の根元の辺からずっとそうなってきている。しかも、それを家庭のお父さん、お母さん方というか、特にお母さんだと思うんですけれども、それを要求する。
 ですから、日本の子供はもともとはそうじゃない。もう考えることが好きだし、物づくりも好きだし、資質からいうとよその国に劣っているとかということは絶対ないんですけれども、その子供たちを何かがずっと悪くしてしまっている。それで、でき上がったときには物を考える力、自分で考える力というのが少なくなってしまっている。企業へ入ったらとにかく上司の指示待ちで、早く言ってくださいということになっちゃう。
 ですから、今の御質問の答えにならないと思うんですけれども、これは全部やっぱり、教育界だけじゃなくて我々企業もですけれども、家庭もみんな寄って考えないかぬことじゃないかと思います。

○鈴木 寛
 まさに社会全体でこうした問題をどうやって考えていかなければいけないかと、おっしゃるとおりだと思います。ただ、今のような塾の先生のお話というのは世間一般でよくされるわけでございますが、藤田先生も東京大学で入試をつくっておられる立場におりますし、私も三月まで慶応大学で入試をつくっていたんですが、例えば慶応大学とか東京大学の入試を見ていただきますと、論理的思考力がないと決して解けない問題づくりに心がけているわけですよね、大学側は。しかし、そういう問題を出すと高校生の方は全然できないということで、何か同じ思いを持っていながらそこに何かディスコミュニケーションがあって、世の中ちぐはぐになっている何かがあるなということは常日ごろ感じておりまして、そこはぜひ今後とも何とか改善をしていきたいなというふうに思っております。
 もちろん、入試を変えることによる動機づけということも非常に重要で、これはむしろ長年の課題でございました。しかし、きょう藤原参考人から提起された問題は、入試を変えるという大変大がかりなことをやることももちろん引き続き重要であると思いますけれども、そうではなくて、非常に身近なところから子供たちの動機づけ、そして新しい学力観というものに根差した再構築、今までのものを決して否定するわけじゃなくて、編集を変えるといいますか、再編集することによって論理的思考力あるいは動機づけの問題を身近なところから解決していくという一つの事案として、私も足立十一中に行かせていただいて、本当に子供たちが楽しく学んでいる姿を見て非常に感銘をいたしたわけでございますが、大変にいい試みだというふうに私は率直に評価をさせていただいております。
 聞くところによりますと、足立区というのは学校選択制が導入されているようでございまして、この十一中は定員が百九十五名のところを既に二百七十一名の希望者が来ているそうでございまして、相当な人気になっていると。足立十一中は、実は今校舎の建てかえで校庭がほとんど使われない状況で、そういう設備面からいうと非常に劣悪な環境にあるにもかかわらずこうした希望者が出ている一つの理由として、この「よのなか」科というものが新しく進学を希望している子供たちあるいはその保護者に大変に評価された結果こういった高倍率につながっているという地元の区議からの報告も私受けたわけでございますが、まさに水曜日の一時間一つ変えるだけでこれだけ学校のありようというものが変わるという非常にすばらしい例だと思います。
 お伺いをしたいのは、ぜひともこうした足立十一中の試みを世の中全体のほかの公立の中学校、小学校にも広めていくということは一つの大事な改革の試みではないかというふうに思いますけれども、その場合にどういったことが制度的に障害になっていくのか、あるいはそれを促進するためにはどういうことがあればより加速されるのか、東京都には千を超える多くの中学校があるわけでございますけれども、なぜ足立十一中で可能になったのかといった点について少しお話をいただければというふうに思います。

○参考人(藤原和博君) 
 
なぜ足立十一中だったかといいますと、ここにいます社会科の杉浦先生がそこにいたということがあるんですけれども、彼がこういうことに非常に前向き、授業のスタイルとしまして、今までの社会科の授業、ほかの授業もそうだと思いますけれども、先生がすべての知識を持っていて、それを知識を持っていない生徒に与えるのだというような授業がほとんどでした。それに対してこの授業は、先生がむしろ後ろに引きまして、外の人と一緒になって子供たちからの発言を促すというある種のプロデューサーシップといいますかナビゲーターとしての役割が強まりますので、どちらかというと、先生からすればクラスの存在感という意味では引いていかなきゃならないという、ある種の先生にしてみればこれは恐ろしいことだと思うんですね。そういうことがございました。杉浦先生がいたということがある。
 それから、もう一つ非常に大きいのはこれを許した千葉先生という校長先生の存在です。校長がこういうオープンマインドな人ですと、制度的には、あるいは法律的には何の問題もございません。あと三番目に言えば教育委員会あるいは教育長がこういうことに対して非常に理解を示すという、その三拍子そろいますと、私のようなおせっかいな、こういうボランティアで社会科の授業を一緒につくろうじゃないかというおせっかいなビジネスマンは意外といるんじゃないかと思いますし、技術者でもいっぱいいるんじゃないかと思うんです。その人の力を使っても恐らくその人はお金を下さいとは言わないと思うんですよ、公立の小学校や中学校に。たとえ自分の息子は通っていなくても、そういう社会貢献をしたいというのは今のビジネスマンの当たり前の感覚ですので、ぜひ、そういうプロデューサーシップを持った校長、それから社会科の先生、そして教育長を増産していただいたら広まるんじゃないかなと思います。

○鈴木 寛
 最後に藤田参考人にお伺いをしたいわけでございますけれども、今の足立十一中の事例も、まさにビジネスマンであられた藤原参考人が学びの現場に参画をされたと、あるいは、下谷参考人からも御提案がございましたけれども、まさに物づくりの現場にいる人が学校現場に協力をしたいというお話もあったと思います。まさにこれからそういう新しい学習共同体、学びの共同体をそうしたいわゆる俗に言う社会人の協力も得ながら新たに構築していくということは非常に重要だと思いますし、そうした新しい学びの共同体を現場につくる上でのある種のガバナンスというものを現場に移譲していくということも非常に重要な流れではないかなということを感ずるわけでございます。
 そうした中で、やみくもに開放をしてもいけないし、それは人的な開放も含めて、どういうプリンシプルといいますか、どういう考え方に基づいて外部人材とのコラボレーションといいますか、外部人材をも巻き込んだ新しい学びの共同体というのをつくっていったらいいか、その辺の基本的な考え方について御示唆をいただければありがたいと思います。

○参考人(藤田英典君)
 基本的には、これはやはりリーダーシップを発揮する人がいないことにはできないことで、先ほどの報告にもありましたけれども、現在、制度的な制約というのは非常に少なくなっておりますからやろうと思えばほとんどのところでできるわけですね。ただ、校長の採用というようなことになりますと、いわゆる県教委の承認が必要だとかそういう制約はありますが、ボランティアが入ってくる分については基本的に制約がありませんから、まずパイプ役となるような先生がいるかどうか、先ほどの御指摘にあったような。ですから、文部科学省とかいろんなところでそういったことをアピールするという、そういう事例をいろいろ報告するということが重要だと思いますね。
 これは、単にそういう場合だけではなくて、先生方が主体的になって、例えば北欧の学校なんかよくやっていることですが、学校のさまざまなパンフレットを子供たちの作品としてつくって、それを販売もするというようなこともやっておりますよね。こういったことの中に先ほどのようなプロジェクトを組み込んでいくということはできるわけですね。どこにどういうふうな形で配布していったら宣伝効果が上がるかとか、いろんなことを。ですから、素材は幾らでもあるので、総合的学習の時間は私は本当は賛成はしていませんが、せっかく入ったわけですから、その中にいろいろの事例を組み込んでいくということだと思いますけれども。
 ただ、重要なことは、先ほども言いましたが、教科の基本的な学習の時間をすべてそういうふうな形でやっていくことが考える力や論理的な思考力の形成につながっていくんだとは考えない方がいい。これはグループ学習をごらんになればすぐわかることですが、五人のグループがいたらどこでも多くの場合大体二人ないし三人はお客さんになりますね。これは欧米諸国でもしょっちゅう見られることです。ですから、何らかのケアをそういうお客さんになりがちな子供にもしていくかということが重要だと思いますけれども。

○鈴木 寛
 ありがとうございました。
 質問を終わります。

 ◆委員会冒頭での参考人4名からの、意見陳述の前文はこちら >>>


←BACK ↑TOP