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  文教科学委員会 

2002年04月11日 

○鈴木 寛
 民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。よろしくお願いを申し上げます。
 私がまずこの著作権法改正の審議の冒頭にお伺いをいたしたいのは拡大教科書の問題でございます。
 拡大教科書と申しますのは、十分な視力を持たないお子さんが通常の教科書は読めないわけですね。そうしますと、その通常の教科書をボランティアの、今はボランティアの方々にほとんど頼っている状況でございますが、字を拡大して、図を拡大していただいて、それを使っていわゆる勉強をしておられるというのが実態でございますが、その拡大教科書が十分な教科書制度における位置付けあるいは著作権法上の位置付けがなされていないために、大変に勉強される御本人そしてその関係者に御負担を掛けている、そういう実態がございます。
 この問題について、民主党といたしましても、四月九日に民主党内にございます拡大教科書問題チーム、堀議員あるいは肥田議員からも文部科学省にお願いに伺ったところでございますが、正にすべての子供の皆さんが学ぶ権利というものがこれは憲法で保障されているわけでございます。適切な教科書がすべての子供にひとしく提供をされなければいけないというふうに思いますし、そのために教科書検定制度あるいは教科書無償制度というものがあるというふうに理解をいたしております。
 非常に大事な問題だと思いますが、費用の問題、著作権の問題で、先ほど申し上げましたような問題を抱えている。私ども民主党としては、既存の検定教科書を拡大した拡大教科書を検定教科書に位置付けていただきたい。あるいは、弱視の子供さんたちに対してすべての教科の、これまだ拡大教科書が全教科あるわけじゃございませんので、すべての教科の拡大教科書を無料で、無償で提供をしていただきたい。あるいは、子供たちの障害の程度やニーズの多様性に応じて保護者の方々が独自に作成をされておられます拡大教科書について、その作成費用を行政が助成をしていただきたい。あるいは、点字の教科書は著作権法上の様々な措置がなされておりますが、この拡大教科書はされておりません。そういう意味で、著作権法第三十三条の適用など検討をしていただきたいというようなお願いをさせていただいております。
 必要な場合には著作権法の改正もしていただきたいということを、お願いを今度再度確認という意味でさせていただきましたし、以前よりもお願いをしておりますし、それから遠山大臣のお耳にも以前からこうした弱視の子供の皆さんが大変苦労されているという声は届いておるというふうに思っておりますので、ぜひこの点についての前向きな大臣の御答弁をお願いを申し上げたいと思います。

○国務大臣(遠山敦子君)
 弱視の児童生徒さんたちは、持っている視力を活用しながら、その可能性を最大限に生かして、自立し、社会参加するために必要な力を培ってもらうということは大変大事だと思っております。
 そのために二つのことが大事でございまして、一つは、その弱視の児童生徒が、視力は同じでも見え方が様々でありますので、その状況を踏まえて、通常の検定教科書を無償供与して、弱視レンズでありますとか拡大読書器などの視覚補助器を用いて、一人一人の見え方に配慮した指導を行うということも大事だと思っております。これは実施されているところでございます。
 それからもう一つ大事なことは、今おっしゃった拡大教科書のようなものを作りまして、その教科の内容を十分に自分の力で読めるようにしていくということを助けるのも大変大事だと思います。
 盲学校や弱視特殊学級において、検定教科書に代えまして、いわゆる百七条図書といたしまして、各都道府県教育委員会等が採択した場合には無償供与できるようにしているわけでございまして、現在、小学部、中学部の国語、算数、数学、英語において活用が図られているところでございます。また、就学奨励費による教材購入費等の補助も行っているところでございます。
 今お話にありますように、しかしまだ十分にこの対策がすべて終わっているわけでございませんで、いわゆる拡大教科書を含みます教材の作成がより適切かつ円滑に行われることが大切だと考えております。拡大教材の作成ノウハウの研究でありますとか、著作権の許諾を円滑に得ることができるような仕組みなどの検討を始めているところでございまして、今後、弱視の児童生徒に対する教育の一層の充実を図ってまいりたいと考えております。

○鈴木 寛
 教科書といいますのは、いろんな知恵、知識を集めてくるわけでありまして、とりわけ今、大臣もおっしゃいましたが、著作権許諾を取る手間というのは物すごい掛かるということを聞いております。
 それで、先ほどルーペなどでというお話もございましたけれども、これはなかなか、やっぱり私もお話を伺いますと相当大変だなということも分かりますので、是非この問題はきちっと対応をしていただきたいと思います。
 この話は、恐らく社会正義の観点からしますと委員のすべての皆様方の御賛同を得られるお話だと思うのでございますが、こういうときに著作権許諾という問題がそうした御苦労をされている方々の前に出てきますと、そもそも著作権法というのはどういうものなのかということを少し疑問を持たざるを得ないなというふうな気もいたしますので、是非、よろしく大臣のリーダーシップを発揮して、これは速やかに御対応お願いをしたいというふうに思います。
 それで、本日は著作権法改正についての議論でございますが、この改正案を見させていただきまして、その背景に、文部科学省の方からも御説明がございましたけれども、正にデジタルネットワーク社会というものがより一段、一層高度化しているなと。正にブロードバンド化と、いわゆるリアルタイムでの配信というものがかなり実態になってきて、そのことに対応していかなければいけないんだな、こういうことによる法律の改正だということはよく分かります。
 私自身もインターネットテレビ局を主宰しておりますので、送信可能化権を、あるいは映像権のコンテンツホルダー、コピーライトホルダーでございますので、そういった意味ではこの改正の必要性というのはよく分かるわけであります。
 それから、そうしたデジタルネットワーク社会が相当本格化したということと、もう一つは、正に一九九六年のWIPOの二つの条約、まず著作権WIPO条約と著作隣接権の条約と、この二つの国内への導入といいますか、国際ハーモナイゼーションと、こういう文脈の中で今回の法改正が行われている、その背景は理解できるわけであります。
 後者のWIPO対応と、こういうことでありますが、平成八年、平成九年、平成十一年、平成十二年と、ほとんど毎年のようにWIPO対応をしてきたわけでありますが、いわゆるWIPO条約対応は、今回のことで大体卒業するというふうに、そして晴れて発効に向けて、いわゆる単位の取りこぼしなく卒業と、こういうふうに理解をしていいのかどうか、お尋ねをさせていただきたいと思います。

○政府参考人(銭谷眞美君)
 WIPOの条約につきましては、既に成立しております条約については国内的な措置は今回の対応で一応すべて終えるということになろうかと思います。
 もちろん、WIPOの方では、例えば放送の問題ですとか映像の実演家の問題などについて更に新たな条約制定について協議を進めておりますけれども、でき上がった条約についての対応は今回で一通り終わるということになろうかと思います。

○鈴木 寛
 一応卒業すると、こういうことでございますので、今回は大変にいい機会でございますので是非議論をしたいことは、今まで毎年毎年の著作権法改正、WIPOにそろえなきゃいけません、よろしくお願いしますということで、どんどんどんどん法改正もやってきたわけであります。
 九六年のWIPO条約というのは、基本的に、インターネットが導入されて、そしてインタラクティブ送信ということに起因します新しい情報コミュニケーション時代に著作権法制というものをどういうふうにしていくのかと、隣接権も含めてですけれども、ということで対応をするということが基本的な流れだろうと。そのことに日本は加盟各国の中でも相当頑張ってやってこられたと、こういうことは私も理解ができるわけであります。
 しかし、こういう時期でございますので、もう一回ちょっと著作権法の原点といいますか、情報化というのは何なのかとか、あるいは著作権とは何なのか、そういうことをもう一回きちっと議論をし直して、そしてやっぱり何が重要なのかということをきちんと見据えて、今度は一応先進国の中では日本がトップに立っているわけですから、正にこれから世の中がどういうふうに、情報社会と俗に言われますけれども、なっていくのかということを他国に先駆けてやっぱりきちっと骨太の議論を作り上げていきたいなというふうに思います。
 それで、私は、情報社会というのは、単なる経済発展よりも人々のコミュニケーションが大事にされる社会というのが情報社会の非常に重要な要素だというふうに思います。そうした情報社会づくりに向けた新しい著作権法も含む情報社会のルールというものを是非今日の議論から、この日本の国会からスタートをさせていきたいと、そんな思いで質問をさせていただいているわけでございます。
 まず冒頭に、まず初めに、著作権法の性格論について御議論をさせていただきたいんですが、カリフォルニア大学のバークレー校にパメラ・サミュエルソンという教授がいらっしゃいます、私も多少のお付き合いはございますが。その論文の中に「情報化社会の未来と著作権の役割」という論文がございますが、学者の中で著作権について大きく言うと二つの説があるということを紹介しておられます。
 一つは、著作権というのは商品だということでございまして、収益活動に従事する著作者の自由を最大化するために財産権を確立するということがこの商品論なわけでありますが、それ以外の機能というのは著作権に、正に経済合理主義に立った著作権商品論というのが第一説であります。
 二つ目の有力説が、著作権というのは社会的な目的を達成するために調整され得るべきだ、そうすべきものだと。したがって、著作権法制というのは、その経済性もさることながら、社会的及び文化的目的に重点を置くべきであると。法律が、著作権法が著作者に与えた権利というのは本来限定をされるべきものであって、より大きな社会目的を実現をされるためにはそこは調整をされてしかるべきだと、こういう二つの説があると、こういうふうに言っております。
 それで、これはどっちですか、日本は、ということを問いたいわけでありますが、私の理解は、著作権法第一条は「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」というふうにございますし、それから、本日のこの法改正のもとにもなってございます実演及びレコード製作、正に著作隣接権に関するWIPO条約の前文でも、実演家及びレコード製作者の権利と著作隣接権者、これは同様のことが著作権法のWIPO条約にもあると思いますが、そうした権利と、特に教育、研究及び情報の入手のような広範な公共の利益との均衡を保つ必要があることを認めていると。要するに、ちゃんとバランスをさせろというふうになっていますから、私は先ほどのパメラ・サミュエルソン教授の分類の中でいえば後者の説といいますか、きちっと著作権とその他の法目的といいますか社会構成というものはバランス均衡をさせるべきだというふうに考えていいんだというふうに思いますが、そこはそういうことでよろしいんでしょうか。

○国務大臣(遠山敦子君)
 今の御議論、大変興味深い御議論でございまして、後でより緻密な答弁があるかもしれませんけれども、私の考えでは、日本における著作権制度の発達の歴史を考えましても、当初はやはり著作者の権利というものをいかに確立していくかということで進んでまいったと思っております。
 しかし、時代の変遷に応じていろんな著作物の使い方というものができてきた、あるいは著作物をクリエートする人の範囲も広がったり利用形態も広がったりということになってまいって、そもそもが個人の、クリエーターの人格権なり財産権を守るということではありますけれども、それを通じて文化の創造でありますとか、あるいはそれがうまく社会に使われることによって、社会のいろんな知的なレベルを高めたり、あるいは生産性を高めたりということにつながっていくという波及効果もあるわけでございまして、次第に社会の変化に伴って後者の部分、それが経済的な活動にも使われていくということ、それが広く使われることのメリットというものが注目をされていって、元々の権利はもちろん保持しながら、それがいかにうまく流通をし、いろんな知的な活動ないし人間の感性に訴える財物として利用されるかという角度で、私は正に社会的な調整といいますかバランス論というか、そこのところが非常に大事だと思っておりますし、今後ともその基本だけは守っていくというのが著作権制度の本来の在り方ではないかと思っております。

○鈴木 寛
 ありがとうございます。
 正にバランスを取る、均衡を取るということでございますが、この均衡の取り方というのは立法論上は、英米法的に言うとフェアユースとかフェアディーリングということの方法もありますが、日本の著作権法は第二章第三節第五款で「著作権の制限」というのが第三十条から第五十条までございますよね。私は、ここの三十条から五十条までの二十条というのは大変重要な、今の正に均衡を図るところがここに表れているわけでありまして、数ある日本の法律の中でも最も重要な二十条だというふうに思っております。
 それで、私も、「文化審議会著作権分科会審議経過の概要」という、これは昨年の十二月にお出しになったレポートを勉強させていただきました。そこでも、正に権利制限規定の在り方について議論がされています。そして、その権利制限の必要性について極めて明快な整理論に基づく整理がされているということでございますが、この正に新しい著作権を設定をしてくれということと、それから設定をされた著作権を制限をするという、大きく言うと二つの方向のダイナミズムというのがありまして、恐らくこの二つの方向のダイナミズムというのは、時代の移り変わりとともに、あるいは特に技術の発達とか普及とか、そういったことを踏まえながら総合的に調整をされていくべき性格であるというふうに、そのことが三十条から五十条に反映をされているというふうに理解をしております。
 例えば、一九七〇年に三十条の私的使用といいますか利用というのが作られました。しかし、その後に、いわゆる複製機器がはんらんをしてきますと三十条の二項ができて、私的録音録画補償金制度というのが九二年にできる、こういうふうにその時々の社会状況というものをかんがみながら、いわゆるウエルバランスというんですかね、適切なバランス、均衡ということを議論をしてきているし、そのことが反映をされているんだろうというふうに思います。
 先ほども私、拡大教科書の件をお願いをいたしましたけれども、是非ウエルバランスの議論で考えていただきたいというふうなことなんですけれども、正にこの権利の保護と著作物の利用調整をすると、そのルールづくり、権利のルールづくりですね、これどういうふうに今やっておられるのか、あるいは今抱えておられる幾つかの論点があると思いますので、その論点とそれぞれのルールの均衡という問題について、文部科学省、文化庁がどういうふうな今問題、課題に取り組んでおられるのかということについて御説明をいただきたいと思います。

○政府参考人(銭谷眞美君)
 先生からお話がございましたけれども、御指摘のとおり、デジタル化時代を迎えまして著作権につきましては保護される著作物そのものが変化、多様化してきている。それから、著作物のその利用形態が非常にこれも変化、多様化してきている。それから、先生も著作者だとおっしゃいましたけれども、いわゆる権利者、クリエーターとユーザー、利用者の双方がこのインターネット時代を迎えまして急激に拡大しつつあるといった変化が起こりつつあるわけでございます。こうした時代にありましても、良質なコンテンツの創作、流通を確保する、そしてその上で著作権の適切な保護をするということは私は極めて重要なことであると考えております。
 ただ、新しい時代に対応してその著作物についてもっと利用しやくするという観点から、一定の場合について例外を認める、いわゆる権利制限規定と呼ばれる規定を設けるということもこれは条約上認められており、こうした例外的な場合には他人の著作物を無断で利用することができるという仕組みになっているわけでございます。
 先ほどお引きをいただきました文化審議会の著作権分科会におきましては、こういった観点も踏まえまして、これからの著作権制度の基本的な課題について昨年一年間議論をしてまいりまして、十二月に審議経過の報告を取りまとめたところでございます。
 話題になりました権利制限規定、この問題につきましては、主として教育の場面においてどういう例外規定を認めるのか、それから図書館についてどういう例外規定を設けるのか、この辺りを中心に昨年一年間は議論をし、その論点を整理をしたという状況でございます。

○鈴木 寛
 正に権利の制限の均衡というのは非常に重要だと思うんです。特に教育あるいは図書館の議論というのは是非早急に進めていただきたいと思いますが、私がちょっと御質問を申し上げたいのは、要するに調整には、話合いが決着するのにはかなり時間が掛かるわけですね、もちろん物によりますけれども。しかし、教育とか図書館の問題も、これは社会教育を担う重要な拠点でありますから広く言えば教育利用ということになるんだと思いますが、そういったものを、現行の著作権法というのは非常にかなりクリアカットに書き出して、それを、私は毎年著作権法を改正していいと思っていますが、国会の中で議論するということはいいことだと思っていますので、そのことを云々言っているわけじゃありませんけれども、やや柔軟性というか弾力性に欠けるというものもある。
 著作権法は整備されないと、先ほどの拡大教科書じゃございませんけれども、やっぱりそれは権利者の許諾を取っていかなきゃいけないと。片やアメリカはフェアユースで大ぐくりにしてこの問題を決着をしているということで、このいわゆる三十条から五十条まで逐次どんどんどんどん条を追加していく、あるいはそこを変更していくと、こういった方式自体、要するに著作権法制の在り方なんですけれども、法制の立法的なフレームワークの議論をさせていただいているわけでありますが、ここについてはどういう御議論がありますでしょうか。

○政府参考人(銭谷眞美君)
 著作者の権利を制限をするいわゆる例外規定の取扱いについて、そのような例外の範囲をどうするのかということとともに、法文の書き表し方、条文としてどのような書き方をするかということが問題になろうかと思います。
 具体的には例外規定を、大ざっぱな書き方と言うと大変変な言い方でございますが、大まかに書いておいて後は運用で判断してもらうというやり方と、我が国のように詳細な書き方をするというやり方があろうかと思います。
 大ざっぱな書き方にした場合には、条文が非常に読みやすいという一方で、具体的な場面でその例外規定が適用されるのかどうかということがあいまいになりがちだということはあろうかと思います。逆に詳細な書き方をする場合には、条文は難解になりますけれども、若干細かくなりますので難解になりますけれども、具体的な場面での適用関係は比較的に明確になるということがあろうかと思います。
 先生お話がございましたように、多くのヨーロッパ諸国あるいは日本では、これまでは後者の詳細な規定ぶりで例外規定を書いてきたわけでございます。アメリカはいわゆるフェアユース、公正な利用は許されるという、こういう言い方がいいのかどうかは別にいたしまして、大ざっぱな書き方を残しておって具体的な解釈というのは裁判にゆだねると、裁判所にゆだねるということになっているわけでございます。
 それで、先ほど申し上げました文化審議会の著作権分科会の中で、今後の著作権制度の在り方をやや中長期的に議論する場面においてこういった規定ぶりについても御意見は出ましたけれども、これまでの著作権法の詳細な書きぶりを変えるというようなところまでは至っていない状況でございます。
 と申しますのは、我が国でもやっぱりアメリカのような考え方を取り入れて例外規定を大ざっぱな書き方にすべきじゃないかという御意見は、あるいはそういう考え方を御紹介する方はいるわけでございますけれども、このことにつきましては、アメリカでのフェアユースの考え方が、アメリカの司法制度の状況とか、あるいは著作物を利用したりその権利を持っている関係者、関係団体の間での一定のルールといいましょうかガイドラインができている状況があるとか、あるいはその契約システムが発達しているとか、そういったアメリカの状況に支えられているということにも留意する必要があるのではないかというふうに私は思っております。
 いずれにいたしましても、文化審議会の著作権分科会の中での議論にはなってはいるということはお話しできるかと思います。

○鈴木 寛 
 どうしてこういうことを申し上げるかといいますと、著作権法というのは、結局、産業政策上とか文化政策上の観点から人工的にそうした財産権を作り出して、それが創造者の、制作者の、創作者のインセンティブを確保するとともに、併せてそれがちゃんとどんどん転々流通する、情報流通がなされると、この二つの恐らく命題を持って、それはフェアユースと呼ぶのか、あるいはいろんな言い方はあると思いますし、フェアユースもその一つだと思う。
 私は、現状の我が国の著作権法の運用状況というか著作物についての実態を見ますと、この著作権にあぐらをかいて、その利用というものについて必ずしも熱心でないといいますか、そのことによって社会全体の利益、公正が損なわれている事例というのは一杯あるんじゃないかと。デジタル化ということは、要するにデジタル化というのはコピーされやすい、あるいはデジタル処理されやすいということからいうと何となく権利侵害っぽく聞こえますが、しかしデジタル化のメリットというのは、情報流通が非常にこれによって簡易になると、こういうことでありますから、情報流通がなされなければ意味がないわけですね。
 それで、現行日本のそうした規定ぶりを維持をするというその合理性は私も認めますけれども、ということになりますと、結局、産業政策上は、そういう著作権者がその著作権の行使ということについて独占禁止法にかんがみて問題行動がある場合には、むしろ公取も頑張っていただいて独禁法を強化すると、こういうようなこととか、あるいは文化政策、社会政策上もこの著作権法制というのは大事なことだというふうな御説明が冒頭大臣からございましたが、この非営利の利用についてはもう少し積極的に、除外規定というんですか、著作権制限ということを踏み込んでもいいのではないかなというふうな気がいたしております。
 更に申し上げると、私的録音補償制度なんかもその端緒だと思いますけれども、著作権者には財産権の中で報酬請求権だけ認めて、もうちょっと、今強制許諾というシステムがありますけれども、余りこれは多分活用されていないんだというふうに思いますので、その辺の創作者のインセンティブの確保とちゃんと情報流通・共有がなされると、この二つの考え方から、是非今やっておられる議論を更に進めていただければ有り難いなというふうに思いますし、さらには、最近はトランスコピーライトとかあるいはデジタル創作権といった新しいアイデアについてもいろいろな有識者から提言もされております。そうしたことも含めて、是非相当骨太な議論をこの分科会の中で引き続き検討していただきたいということをお願いをしたいというふうに思います。
 それで、もう少しこの分科会の点について御議論をしたいわけでありますけれども、この分科会の中で情報通信技術の進展に対応した権利と権利制限規定の在り方についてと、そして先ほども御紹介がありましたけれども、教育図書館における権利制限見直しについて検討がされているわけです。このことは大変いいことだと思うんですけれども、私は、今我々は産業社会から情報社会の大変な時代の大転換期にあるわけであります。情報社会化といった場合に、単にその情報技術が世の中に普及するということだけでは足らないのではないかということを申し上げたいと思います。
 情報社会革命というのは、正にIT革命に端を発してはおりますけれども、経済革命であり、社会革命であり、政治革命であり、文化革命であるという、すべての社会的な要素が変わっていくと。先ほども申し上げました、経済至上主義からコミュニケーションをもっと大事にする、社会の価値観も変わっていくし、それから文化というものが人間の諸活動の中でより相対的に大事な活動になっていくとか、そういうことを含んでいるわけであります。
 でありますから、WIPO条約の前文でも、経済的、社会的、文化的及び技術的発展に生ずる問題についてということが言われているわけでありまして、今までこの数年間の文化庁の対応というのは、WIPO条約にとにかく早く合わせなきゃいけないということで、大変だったということは分かりますけれども、どうも日本の議論というのが、ITが普及した、コピーがやりやすくなる、だから経済的損失が増える、大変だと、だから何とかしなきゃいけない、デジタル関連の著作権の手当てを、こういう議論。いわゆる表面的な理解に流れ過ぎていて、私は、文化とか社会とか、正に情報社会の最大の意味というのは、物質的価値に勝って情報とか知とか知恵とか、そういったものが大事になる社会が情報社会革命の本質だと私は思っておりますから、今までの政府の御議論というのは、情報というのは単に産業活動の付加価値を上げていく、あるいはそれを高付加価値化する、そういう情報道具論なんですね。私は、情報社会革命になりますと、情報とか情報活動、コミュニケーション活動それ自体が価値ある、尊重されるべき価値だと、こういうことに立脚をした著作権法制議論ということがやや欠けていたのではないか、今まではお忙しかったので、ですから今日からやりましょうと、こういうことを御提言を申し上げているわけでありますが。
 そうなりますと、例えば文化多元主義をこれから二十一世紀どう実現をしていくのかとか、科学技術をどう発展させていくのかとか、それからやっぱりそれぞれのコミュニケーション主体としての個人のコミュニケーション能力、情報編集能力を付けていくということ、更に申し上げると、私は、このITに端を発した時代と時間と空間を超えたコミュニケーションの充実というのは政治の政策形成過程にも大変重要な影響を与えると思っております。特に公共領域における民主的対話、熟議の民主主義という言葉がございますが、それを実現する契機もこの情報社会革命は含んでいると。正にこうした情報社会革命あるいは文化革命、そういうふうな人材革命、そういった点での議論が私は必要だと思いますが、いかがでしょうか。

○国務大臣(遠山敦子君)
 情報社会といいますか、情報化社会に今突入しつつありまして、その中での知の資産をどのように活用していくかということは確かに大変重要な課題だと思います。
 一方で、産業といいますか、経済の論理からいえば、情報はなるべく活用しながら使っていくということで、著作権法を代表とする知的財産について、クリエーターの権利というものを余り認め過ぎると流通が阻害されてかえって新たな情報社会に対応できないのではないかという御議論かと思います。
 しかしながら、情報社会において、情報が思わぬような技術的手段の開発などによって流布されていくという中で、しかしクリエートする人の意欲でありますとかあるいはクリエートされたものについての価値そのものを否定しては、私は、かえってその社会における知的な活動というのが阻害されるのではないかと思います。
 その意味で、これまで、ある見方によれば、科学技術が発達して権利関係が十分でないので、じゃどうするかということで著作権法は追い掛けてきたというふうな見方もあろうかと思いますけれども、私は、むしろそうではなくて、著作権法が元々守ろうとしている人間の思想及び感情における創作的な労作といったものをどのように守りながら、しかし社会の要求ないし科学技術の発展にアジャストしていくかということにおいて知恵を使ってきた法体系が現在の著作権法であろうかと思っております。
 したがいまして、今の委員の御議論は大変耳に入りやすいのでございますけれども、その角度からだけ論じていくと、かえって本来の人間の知的な活動についての大事に守るべきもの、あるいは意欲といったものが阻害されるという面もあるということはやはり考えていかなくてはならないと思います。
 それからもう一つは、やはり知的財産に関する、あるいは著作権に関するような法体系というのは、それぞれの国の法制度の在り方にもかなり、規制の体系につきましては影響されると思っております。英米を中心とする判例法の社会と、それから成文法の社会との違いもあります。
 先ほど次長も言いましたように、判例法の社会におきましては、それに対応できる司法制度とかいろんなことがあるわけでございまして、日本の場合には、やはり私は、この著作権法というのは、明治のいろんな制度を形成していくときに、ベルヌ条約に入るという目的もあったわけでございますが、私はいち早く日本がこの面で世界の水準を守ろうとした意欲というのは大変重要であったと思っておりますし、その後の著作権法のいろんな整備についての関係者の努力というものは、その精神を基にしながら、日本の著作権制度は世界に誇るべきものだと私は考えております。
 例えば、日本が昭和六十一年に世界で初めてインターネットへの対応について法整備を行いましたし、これを国際的なルールにするように訴えました結果、平成八年に日本の著作権法と同趣旨の規定を盛り込んだ条約が策定されているところでございます。これは著作権に関する世界知的所有権条約でございますが、これを策定しておりますし、また、本日御議論いただいております放送事業者、有線放送事業者への送信可能化権の付与も世界初のものでございます。現在、WIPOで検討中の放送機関の権利に関する条約にもこの権利を盛り込むよう提案を行っているところでございますし、着メロの問題も日本独自の開発によるものでございます。そういう中で、私は、これまで形成してきたこの日本の著作権体系というものは世界各国の法体系においてむしろリードをしていける、そういう分野であろうと思っております。
 したがいまして、今の委員のようなお考えというのももちろん非常に大事で、そういうことも十分に配慮をしながら、しかし日本の築いてきたこれを守りつつ時代の変化に対応して法体系を整備し、そして本当に先ほどのバランス論がうまくいくようにやっていくというのが我々の使命であろうかと考えるところでございます。

○鈴木 寛
 正にこの二十世紀といいますか、百年ぐらいはよくやってきたと思っているんです。
 ただ、冒頭申し上げましたように、今やっぱり、先ほど大臣がベルヌ条約のお話をされました。日本は一八九九年に批准をしているんですかね。これ、元々は八六年に、一八八六年、ちょうど今から一世紀ちょっと前にできた条約でありまして、当時は、結局、近代というのは一七八九年のフランス市民革命以来、財産権の神聖不可侵性というものを規定をして、そして経済行為というものは大事な行為なんだということで近代のフレームワークというのは作ってきたと。
 物だけじゃなくて、やっぱり情報行動、特に情報経済、情報産業ということも重要であるから、そういった財産権のフレームワークというものをこうした著作活動にも充てていこうと、こういうことで、正に二十世紀、それがかなり機能してきて、それの最後の、究極の姿が今できつつあるわけでありますが、だからこそもう一回きちっと私はその議論をすべきだというふうに思っているわけでありまして、例えば教育とか図書館についての権利制限の御議論がされている。このことは私はいいことだと思うんです。
 ただ、いいことなんですけれども、どういうコンテクストでそれをしていますかということを私は申し上げておりまして、私は、産業社会から情報社会に変わるんだと。そうすると、単なる情報産業政策とか情報経済政策以上に大事な価値がありますよねということを申し上げていて、文部科学大臣は、文化行政を所管する、正に著作権行政を所管するトップであられると同時に、科学技術政策の最高責任者でもあるし、それから何といっても教育の最高責任者であります。となりますと、その情報社会における正に人材を作っていく、正にコミュニケーションの主体である人材を作っていく。教育というものをより充実をさせていくという価値は、私は、その知的財産制度を守るということと同値ないしは、これからの傾向でいえば、それ以上にそういうその知的創作活動あるいは知的創作主体になる、そういう学習支援制度を作っていくとか、それは教育システムということだと思いますが、教育システムとか研究システムとか、あるいは文化的な創作システムとか、そういう社会インフラを作っていく上で、財産権の、知的財産権制度と並んで、あるいは情報社会というのは大事だということになってくれば、これは正に今日は国のありようとか社会のありようということを見据えたときに、相当大事な話ですよねということを私は申し上げていて、そういう理解の下で、是非この教育とか図書館とかといった権利制限の問題ということは考えていただきたいということを申し上げているわけであります。
 その割には、教育とか図書については両論併記なのは分かるんです。両論併記で、それはそうでしょう、産業側の方からすれば、あるいは経済価値ほど重要だと思う方々からすれば、自分の経済的な基本的人権を守れという声は強いのは当然だと思います。しかし、新しい時代のビジョンとか新しい社会のイメージというものを持って、そこにある種のリーダーシップを持ってドライビングフォースを掛けていくというのは、これは私は政治の仕事だというふうに思っておりまして、これは別に、文部省の官僚の方々は著作権体系をより精緻にすばらしく磨いていくと、そのことについて、私は、大変御努力をされてきたと、国際的なハーモナイゼーションもWIPOというフレームワークの中で努力してきたことについて何ら私はけちを付けているわけではございません。
 しかし、正にここは国会の場でございまして、参議院でございますから、やっぱり次なる社会がどういうふうになるのかということを見据えて、ですから、是非委員の皆様方に御理解をいただきたいのは、これは正に国家運営の根本にかかわる問題を議論をさせていただいているわけであります。知的財産制度と並んで、我々はこれから作っていかなければいけない重要な社会システムがあるということを皆さんに御理解をいただきたいと、そういうコンテクストの中で、文脈の中でこの著作権の在り方ということもきちっと議論をしていくべきではないかと。
 幸い、アメリカはまだ経済パラダイムの中で著作権問題を議論せざるを得ないという政治状況にありますと。日本は、いったんそこのところは卒業して、次なるところに向けて、一応その中では優等生と言われているわけですから、しかし優等生は油断してはいけませんで、更に更にこの世の中を引っ張っていく、そしてやっぱり本当に何が社会にとって大事な価値なのかということをやっぱり議論をした上で社会システムというのは作っていかなければいけないというふうに思います。
 例えば、だから、憲法の議論の中でも、もちろん二十九条大事です。財産権は重要です。当然そこに対する公共の福祉という観点でさっきの権利制限条項がだあっと入っているんだと思いますけれども、あわせて、例えば学問の自由とか教育の、正に学習権の確立とかいう問題というのは非常に大事になっているわけですね。
 それから、若干今の議論で見落とされていますのは、著作権管理ということが進行していきますと、確かに経済的な価値の実現からすれば、だれがどこで私が作った著作物をパソコンを使って、インターネットを使って見ているのかというのはチェックできるようになるわけです。それは著作権管理ということによって、技術の進歩によってできるようになる。しかし、これは裏を返せば、私の経済的価値はより実現をされますが、その見られている方、例えば私の本をごらんになっている、インターネット、ネットワークでごらんになっている方からすればプライバシーの侵害ですから、これは。
 そうすると、実はこれは憲法十三条、プライバシーの侵害の問題があるわけですね。だから、今、現行の憲法上でもいろんな拮抗する人権があって、その中でどう濃淡、めり張りを付けていきますかという中で私はこの議論をすべきではないかという問題提起をしているわけであるということは、是非委員の先生方にも御理解をいただきたいと思いますし、そういう意味で先ほど遠山大臣にそうしたお話をさせていただいたというふうなことであります。
 実は、私は、本当に遠山大臣はずっと文化庁次長と文化庁長官も、正にインターネット対応時代のこの一九九〇年、大変重要なインターネット時代に対応した著作権法制どうするかという、ずっと責任者をやってこられて、恐らくこの問題について日本の中でも第一人者だというふうに高く尊敬をいたしておりますし、大変に期待もいたしております。加えて、今回、今日はお越しいただけなかったんですけれども、文化庁長官に河合隼雄先生が御就任されて、そうした産業社会から情報社会に移っていくんだと。
 そして、その中で恐らく、私は人格というか個人というものをどういうふうにとらえるか、人間をどうとらえるのかということ自体変わってくるんだと思います。今までは近代合理人で、要するに利己的な判断の下に経済合理的な活動をするという前提ですべてのその法体系というのは作られてきたわけでありますが、その人格ということも、相当インタラクティブにいろんな人と影響をし合いながらその人格というのは形成されている。そのコミュニケーションの中で、情報というのは別に独りでは生まれないわけでありまして、いろんな人たちがコミュニケーションをする、コラボレーションする中で情報というのは生まれてくるんだと、そのこと自体がすばらしいんだと、そのことに参画をしていく次世代を作っていくんだと。
 こういうことが、私は情報社会を作るという意味で非常に重要なわけでありますから、正にこの、私は、今、日本が望むことができる最良の大臣、長官コンビをせっかく頂いているわけでありますから、是非そうしたことに向けて頑張っていただきたいということでありますし、我々文教科学委員会も、そうした二十一世紀の日本をつくり、ひいては私は、相当日本というのはいろんな二千年間にわたる情報の歴史を持っていますから、その中でいろんな知恵があります。権利設定のやり方も、昔でいえば結とか講とか座とかいろんなことをやってきたわけですね。そういう文化的な知恵の蓄積もありますし、そういうことを一つ一つほどいていきながら、ひもといていきながら、今回は、今回はと言ったらおかしいんですけれども、日本発で新しい社会のパラダイムを発信できる絶好のチャンスに今立っているわけでありますので、そうした議論を是非ここからやっていただきたいなということであります。
 そして是非、もう時間もございませんので、最後に大臣からコメントをいただく時間を残して終わりたいと思いますので、最後にちょっとだけ申し上げますが。
 やはり、こういうことは本当に政治主導、ポリティカルアポインティーであります大臣も含めて考えていただきたいわけでありますが、もちろん審議会での御議論とか大事だと思います、大変な高名な先生方に、学者の、有識者の方々に御議論いただいていますが。しかし、この二十一世紀というのはどうなるかというのはだれも、逆に言うとみんな同じ一線だと思うんですね。
 もちろん二十世紀パラダイムの近代西洋合理主義における有識者の方々に入っていただいていると思いますが、そこを丸投げにしないで、是非やっぱり自らの、我々のチームというかコミュニティーで新しいものをやっぱり作っていきたいということを私も思っておりますし、ちょうど大日本帝国憲法、日本が近代憲法作るときにやっぱり伊藤博文が一生懸命頑張ってやっていますので、そういう政治家であっても、あるいは政治家だからこそそうしたいろいろな知恵者とともに新しい社会をつくっていく、やっぱりそうしたイニシアチブを是非遠山大臣に取っていただきたいと。それから、我々も取っていきたいということを橋本委員長にもお願いを申し上げて、遠山大臣のちょっとコメントを伺いたいと思います。

○国務大臣(遠山敦子君)
 委員の大変柔軟な発想とそれから志の高さといいますか、その御議論、私は大変興味深く拝聴いたしました。そういう視点も十分に入れながら、これからの日本の在り方を考えていくというのは大変大事だと思っております。
 おっしゃるように、日本は本当に長い歴史、しかも単なる錯綜した国土の奪い合いというような歴史というよりは、我が民族がこう蓄積をしてきた大変な文化の厚みがございます。
 その意味で、これからの情報時代のコンテンツにおいては、私は日本は本当に誇るべきものがあると思っております。それは一朝一夕にできるわけでないようなものを我々は持っているわけでございまして、そういった大事な資産というのをどのように活用していくかということも踏まえた上で、更にクリエイティブな活動をし、そしてそういう創作者たちの意欲を十分にこれをサポートしながら、新たな知に向かってどのように日本が資産を作っていくかということは非常に大事だと思っております。
 一方で、こういう情報化時代といいますか、そういう中で容易にいろんなものをインターネット上あるいは機器の上で使い得る社会において、人々が基本的に持っているべき倫理観といいますか、他者のクリエイトしたものを大事にしていくということをベースにした社会でなくてはならないわけでございます。
 私は、日本の国内では、いろんな問題あるにしても、ある程度のレベルは保たれると思います。しかしながら、虎視たんたんとねらっているそのレベルにおよそ達していない国民あるいは国家が日本の周辺にもあるわけでございますね。そんな中で、容易にとにかく社会のために使おうよということでやっていくことの問題点というのも十分考えていかなくてはならないと思っているわけでございます。その意味で、正に英知を大いに働かせながらこの問題はやっていきたいと思います。
 それから、委員のおっしゃいました大きな方向性とか視点の大事さというのは分かるわけでございますが、むしろ個別にこういったときにどうするかというような議論の積み重ねも大変大事だと思っておりまして、今後とも是非いろんなアドバイスをいただきながら、協力をして日本の知的な世紀の形成に向けて努力をしたいものだと思います。

○鈴木 寛
 是非そうした方向でこれからともに新しい時代、世紀の創造に向けて頑張っていきたいと思いますが、そうした意味で大学というのはやっぱり非常に重要な役割をこれから担うんだと思います。
 それで、そうした知的時代といいますか、知の時代を作っていく人材育成の場として、あるいはそうした知の創造の場の大学として、今、特に今日も議論になりましたけれども、知的所有権あるいは知的財産権制度に非常にたけた人材をつくっていくというのは重要だと思っています。
 御質問が二つございまして、ちょっとまとめてさせていただきますが、今議論になっていますロースクールですね、ロースクールの中で、例えば知財に特化した、あるいは、特化はできないですけれども法律ですから、非常に重点を置いた大学づくりというのは今後可能なのかどうかということの確認と、それから、これはむしろお願いでございますが、今、大臣もおっしゃいましたデジタルコンテンツの作成、あるいはそういった産業の育成、これは日本のリーディングインダストリーとしてこれから頑張っていけると思いますし、単に産業のみならず、非常に重要な文化的なむしろプラスの効用も私は見逃してはいけないというふうに思っております。
 そういう中で、この産業を育てるための金融支援制度というのも重要だと思っていまして、これはもう要望だけにとどめますけれども、先ごろ、金融の流動化、債権の流動化のためにSPC法というのができていまして、知的所有権、知的財産権を資産担保として、それを資産担保とした証券、債券を発行することができるというスキームができています。ここは文部科学省の御努力で知的所有権、知的財産権、デジタルコンテンツも対象にするようにはなっているわけでありますが、先ほど、平成十四年度、契約システムの研究ということをやるというお話がございましたが、これがきちっと使える制度になるように、法的な措置はできているんでしょうけれども、政令とかあるいは規則とか、あるいは実態上の、ビジネス上の運用とか、是非チェックをしていただいて、この点についても円滑な資金調達という観点、それからそのことを担える経済人材、法律人材、そして創作者と、そのための大学の自由なそうした知的な主体、次代を作る主体としての大学づくりについて、そうした自由が確保されているのかどうかということについて最後ちょっと確認だけさせていただきたいと思います。

○政府参考人(工藤智規君)
 法科大学院についてのお尋ねがございました。
 これは、先生御存じのように今、日本の司法制度大改革に乗り出しているところでございまして、昨年六月に司法制度改革審議会の方から御答申を得まして、今、政府で全力を挙げて準備中でございます。これまでの司法試験という、点のみの選抜から資質の高い法曹養成をプロセスとして法曹人を養成していこうということで、質的、量的両面の課題を克服するために今制度設計について関係の審議会で審議中でございます。
 現在検討されております内容は、いわゆる基本六法など、法曹人におよそ共通に必要な部分の学習は当然でございますけれども、それ以外には、各法科大学院が独自にいろいろ取り組めるようなカリキュラム編成をすべきであるという御提言がございまして、例えば国際取引にたけた人材でございますとか、あるいは環境とか労働法関係に強い人材でございますとか、今御指摘ありました知財関係に強い法曹人養成ということもございます。
 私どもは、広く、整備運営のできた大学について広く参入を認めるような方向での制度設計を考えてございますが、昨年十二月に司法制度改革推進本部事務局で各大学調査した結果によりますと、回答がございました九十一大学のうち、七十八大学までが知的財産権、著作権や特許あるいは工業所有権等を含めた知的財産権の開設を予定してございまして、各大学の意識の高まりと取組の高さといいましょうか熱意を感じているところでございます。おっしゃいますような社会の需要もあるわけでございますし、それを大学側がしっかり受け止めて多様な法科大学院が設置されますよう私どもも支援してまいりたいと思います。

○政府参考人(銭谷眞美君)
 著作権の活用のためには著作物の円滑な流通が不可欠でございます。著作物がより一層利用されるためには、製品化あるいは販売促進等に係る費用を確実に調達できるような環境が必要でございますが、先生お話ございましたように、平成十年にいわゆるSPC法が施行されまして、著作権及び著作隣接権を証券化して当該証券を販売することによりまして資金調達を行う仕組みなどが整備されました。文化庁といたしましても、今後このような金融ツール等を組み合わせた新しいビジネスモデルが開発され、より一層の著作権の活用が図られるよう支援してまいりたいと考えております。
 以上でございます。

○鈴木 寛
 はい、ありがとうございました。


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