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  文教科学委員会 

2002年04月25日 

○鈴木 寛
 民主党・新緑風会の鈴木 寛でございます。よろしくお願いいたします。
 本日は大学問題の集中審議ということで、私も大学というのは本当に大事な課題だというふうに思っております。とりわけ、二十一世紀は情報の時代あるいは知の時代というふうに言われておりますけれども、正にその主役がこの大学ではないかという観点で、私は今日の集中審議、非常に楽しみに臨んでまいりました。
 今、大学改革が相当なエネルギーで進められておりますけれども、これ振り返ってみますと、日本に帝国大学令というのが出ましたのが一八八五年、明治十八年、これ森有礼文部大臣のときに帝国大学というものができました。そして、一九四九年、昭和二十四年でございますけれども、国立学校設置法というのができまして、帝国大学でいろんな帝国大学、東京帝国大学とかできまして、二十四年に帝国が外れて東京大学になったんだと。来年になりますのか再来年になりますのか、時期は定かではございませんが、この少なくとも数年以内に午前中以来御議論があります国立大学法人に移行すると。そういう意味では、本当に世紀の大学改革議論というのが今行われているというふうに理解をいたしております。
 我々ここに集っているすべての方々はいい大学をつくりたいということで、そこについては全く同じ思いを持っておられるというふうに思いますが、結局、私はとどのつまり、いい大学をつくるというのは、志が高くて、人間的にも魅力があって、そして聡明な、そうした老いも若きも、学生もそして先生も、そこに集まる場をつくっていくということに尽きるのではないかなと。正に、学生と教員と、そしてそれを支えるファシリテーター、マネジャーとしての、あるいはプロデューサーとしての職員、この三位一体がうまくいったときにいい大学ができるんだろうというふうに思っております。
 そのためには、いかに、何がいい学生かというのはその大学の建学の精神、アイデンティティーによって違うと思いますけれども、いい学生を入学させて、そして充実したキャンパスライフを送っていただいて、そして卒業していただく、あるいは教員の方もいい人材を採用して、そして気持ちよくといいますか、非常にモチベーションを高く、すばらしい教育環境あるいは研究環境の中で頑張って仕事をしていただく、こういうことに尽きるんだろうというふうに思います。
 そういう観点で見ましたときに、やっぱり日本の大学というのはそういう意味での、集まり参じてという言葉もございますけれども、様々な多様な、志高く人間的にも非常に魅力的で聡明な人材が世界じゅうから集まっているかというと、そこが少し、今、日本の大学の、何といいますか、国際的に見ていろんな疑義が呈されておりますけれども、やはりアメリカなんかに行きますと、本当に世界じゅうから集まっているなという気がいたしますし、それからそのバックグラウンドあるいはその年齢、世代ということを見ても、本当に多くの多様なすばらしい方々が集まっている。
 そういう意味では、やはり日本の大学、解決すべきは、これ学生、教員ともどもでありますが、やっぱり外国人とかあるいは社会人といった人たちがもっともっと入ってくるというようなことも非常に重要かなというふうに思います。
 この点についてはちょっと後でお話をもう一度させていただきたいと思いますが、今日午前中からずっと問題になっております「新しい「国立大学法人」像について」の国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議の報告書、これが三月二十六日にまとめられまして、昨年の九月に中間報告が出されましたけれども、それ以来、我々民主党の意見もかなりごしんしゃくをいただきまして、充実した議論がおおむね進んでいるのかなということは高く評価をしたいわけでございますけれども。
 この大学を議論する上で、東大ができたのが一八七六年でありますが、百年以上日本人の中に染み付いてきたいろんな固定観念というか思い込みというのが、この議論をしていますと非常にばらついているなと。ここのまず思い込みを、現状どうなっているのかというのをきちっともう一回確認をさせていただくところから進めていきたいと思いますが、先ほども申し上げましたように、いかにいい学生を入れて、そしていいキャンパスライフを送ってもらって、そしていい先生と出会って、そして卒業してもらうか、これが恐らく大学教育の真髄だと思いますけれども、最初にお尋ねをしたいのは、入学試験といいますか、どういう学生を入れていくかという入学選考の問題でございます。
 日本にいまだにこびりついております固定観念の一つに、大学入試はいまだにいわゆる知識偏重型の能力を問うているという固定観念がございますが、これが現状どうなっているのか。やはりそれはそうなのか、そうでないのか、現状についての御説明をいただきたいと思います。

○政府参考人(工藤智規君)
 入試というのは、御承知のように入学定員がございまして、それに志望する学生があふれますと選抜試験をしなきゃいけない。合格者を決定するプロセスであるとともに、不合格者を出すプロセスでもございます。したがいまして、すべての方々に御満足いただける絶対解がない、なかなか難しい課題が入試問題でございます。
 各大学いろいろ御工夫いただいているわけでございますが、昭和四十年代など、随分受験競争、しかも難問奇問も含めた各大学の知識偏重の受験競争の中で大きな問題になってきたわけでございまして、それ以降、御承知のように共通一次試験の導入でございますとか、大学入試センター試験の導入でございますとか、いろんな大学入試の改善の試みが進められてきてございます。
 現在でも、各大学のそれぞれの御工夫によりまして、もちろん学力検査で行っているところもございますけれども、センター試験との組合せによりまして、面接、小論文、あるいはリスニングなどを課している大学でございますとか、あるいは推薦入学で、学力試験をむしろ傍らに置いた形での、高校レベルでのいろんな御本人の健闘の具合を見て合格を決めるような仕組み、あるいは帰国子女とか社会人の方々向けの特別選抜を行っている大学なども増えてきてございます。
 さらには、近年注目すべきはアドミッションオフィスという入試制度でございまして、これは平成二年に、先生御存じの慶応の藤沢キャンパスで始められた試みなんでございますが、それぞれの受験生の能力、適性を、高校時代の活動状況などを多面的に評価いたしまして、きめ細かな選抜を行うわけでございますが、そういうアドミッションオフィス入試を行う大学も大変増えてきているところでございます。
 私どもとしては、大学の各努力を助長しながら、かつ志願者の多面的な能力、資質が適切に判定されますように、入試改善に今後とも努めてまいりたいと思っております。

○鈴木 寛
 昨日、文部科学省から教えていただきましたところによりますと、今も局長から面接、小論文と。要するに、知識だけではもう駄目なんですね。要するに、非常に広範な思考力とか論理力とか、それがないと小論文は作れませんし、それからコミュニケーション能力とか表現能力、そういう意味で面接とかあるいは実技検査というのがかなり導入をされているという実態について教えていただきました。
 面接について申し上げますと、九六%の大学で導入をされている。学部ベースで申し上げても七八%。小論文で言っても九六%、九五・八%の大学で導入をされ、七七・八%の学部ベースで見ても、要するに八割に上る大学が、国立大学で見ても面接とか小論文とか、正に基礎知識はもう前提として、それを更に総合していく力が問われているということでございます。正に机にかじり付いて勉強しているだけではもう大学は受からないんだということであります。
 今、局長から御紹介いただきましたように、私も慶応藤沢キャンパスで入試に携わっておりました。そういう意味で、アドミッションオフィスも含めて、入試をどうデザインするかというのは正に大学づくりの根幹にかかわるところでありますから、大学側もそれなりに努力をしているし、これは国公私立を問わずやっているわけでございますが。
 お尋ねをしたいのは、こうしたいわゆる机にばかりかじり付いていたんでは大学は受からないんだということが、高校の教師にはもちろん進路指導しなければいけませんので伝わってはいるんですけれども、これ、小学校とか中学校の先生、あるいは保護者の方々にどれだけきちっと御理解をいただいているのかなというところになりますと、いささか首をかしげないわけではないわけでありますが、その辺の情報提供あるいは啓発ということについては今どのような状況でいらっしゃるんでしょうか、教えていただきたいと思います。

○政府参考人(工藤智規君)
 御指摘のように、ちょうど大学を志願する直接の対象でございます高校関係者あるいは受験生御本人や保護者の方々への広報はいろいろな形で、例えば説明会でございますとかパンフレットの作成でございますとか、あるいは大学に実際おいでいただいてオープンキャンパスという形で体験をしていただくというような試みも含めていろいろやっているわけでございます。
 そのほかに、近年、いわゆるIT社会でございまして、各大学、国立大学でいいますとすべてになるのでございますが、それぞれの大学ごとにホームページを作成してございまして、そこで入試情報でございますとか大学の建学の精神等をPRしながら志願者に呼び掛けているということもございますし、あるいはパンフレットも広く広報してございます。
 その中で、今御指摘のような小中学校の関係者なども含めて一般の方を対象にしているわけでございますが、もう少しきめ細かくどうするかというのは確かに御指摘のようなこともございますので、今後更に工夫してまいりたいと思ってございます。

○鈴木 寛
 それでは、入試についてもう少しお尋ねをしたいんですけれども、固定観念その二に、大学側は文部省に気兼ねをして自由に入試の設定ができないという固定観念がございます。これは実は私はそうじゃないかと思っているんですが。
 毎年、局長通達で大学入学者選抜実施要項というのをお出しになっていると思います。その中で、学力検査は学習指導要領に準拠し高等学校教育の正常な発展の障害とならないように十分留意して実施するものという条項が毎年あると思いますけれども、これは大学側はやっぱり相当気にしております。本来でありますならば、もう少し自由に様々な問題の設定とかしたいという意向はあるんだと思いますけれども、この実施要項、実は私立大学長にも、国公立の大学長に出されるのは当然だと思いますけれども、私立の大学にもこの通知が来ております。
 繰り返しになりますが、やはり入試というのは本当にその大学のアイデンティティーにかかわる非常に重要な問題でありまして、大学の個性というのはまずどういう学生を集めるかということに懸かっていると思います。正にその創意工夫の余地が一番出るのがこの入試あるいは入学者の選考ということでございますので、私は、この通知、やめるべきではないかと思います。特に私立大学に対してはこの行政指導は改めるべきだというふうに思いますが、文部省のお考えを伺いたいと思います。

○国務大臣(遠山敦子君)
 大学入学者選抜といいますものは、大学側が学生を受け入れるに際しまして、大学教育に必要な能力、適性があるかどうかを見るというものでございますが、学生にとりましては、高校から大学への接続といいますか、継続した形での教育を受けるということを踏まえますと、大学教育に必要な能力、適性などの判定におきましては、高校におきます学習の成果を通じて判定することが基本となります。
 今、委員がおっしゃいましたことは本当にある意味では説得力を持つと思うんでございますが、実はこれは、本当に入試の問題については長い歴史がございまして、先ほどもちょっと説明がございましたけれども、かつて受験競争による高等学校教育への悪影響というのは大変な問題、社会問題になったわけですね。本当にもう難問奇問が出て、高校の生徒たちは本当に難しい受験勉強に、過度の受験勉強と言っていいぐらいのに挑まざるを得なかったというような歴史がございます。
 そのようなことから、共通第一次学力試験、それから大学入試センター試験というのが導入されました。これの出現によりまして、各大学が個別試験を適切に組み合わせながら、先ほど来説明しましたようないろんな方法をもってそれぞれの大学が欲する学生たちを受け入れるということで現在進んでまいっているわけでございます。
 こういうことを踏まえますと、それぞれの大学がそれぞれのやり方において学力を見ればいいのであってというふうなことになりますと、また私どもが大変な思いをしてくぐり抜けてきた大きな問題というのが生じてまいるということは、これは必然的であると考えます。しかし、今はセンター試験がございますから、基礎的な学力というのはあれで見て、その上で、自分のところは例えば物理について深いものを知りたいと思えば、面接なり、特定分野に関するいろんな学生、生徒の持っているこれまでの、何といいますか、経験なり、あるいはそこで蓄積されてきた才能といったものについて見ながら選ぶというようなこともできるわけでございます。
 したがいまして、私どもは、その通知の中でそういうことの自由まで束縛しているつもりは全くございませんで、従来の経緯もあり、しかしそれぞれの大学の特色を踏まえながらといううまい調和の下に、それぞれの大学がいい学生、自らの大学にとっていい学生を取るように努力をしてもらいたいものだと思います。

○鈴木 寛
 この通知は国立大学法人化後も基本的にはお出しになるということなんでしょうか、お伺いをしたいと思います。
 大臣のおっしゃることはもちろん歴史的な経緯から分からないわけではないわけでありますけれども、午前中も有馬先生の御議論の中にもありましたけれども、いろいろなアクレディテーションを第三者機関がやっていくとこういうことになるわけですよね。それで、大学側も、もちろん過度な受験戦争が日本に及ぼした弊害ということについて関係者も理解をしていると思います。要するに、文部省の通知がないと、指導がないとまた戻ってしまうのかというと、そうでもないと。大学人はもうちょっと見識があるということを私は申し上げたいと思いますし、それから、それは今は、例えばいろんな教育評論家の関係者の方々とか、それから第三者機関のアクレディテーションの中でも当然入試というのも対象になるわけですよね。でありますから、文部省が一律に行政指導をしてそうした受験勉強の弊害というものをなくすという手法自体を今回の国立大学法人化の議論というのはしているのではないかと。
 私は、その精神において、大学のことは基本的には大学の自律性あるいは自主性というものを尊重し、そして、あくまでも難問奇問を出し続ける大学は、文部省によって淘汰されるのではなくて、そうしたアクレディテーションのプロセスとか、あるいはいわゆる当時とはかなり学習者といいますか入学者、あるいはその保護者の入手できる情報、これは玉石混交の問題はまた別にありますけれども、文部省以外にも様々な見識ある主体によって今の日本の大学づくりというのは担われているのであって、そうした、何といいますか、勢力の力を総合的に活用していく。そのためには文部省が一律に学習指導要領に基づいた入試をやりなさいというこの通知が引き続き必要なのかなと。
 これは一回外してみて、ゼロベースでいろいろ考えてみて、そしてまずは大学の創意工夫を出してみると。で、明らかに問題のある場合については、そういうことはこれから少なくなると思いますけれども、政府は一番最後に出ていくというふうにすべきではないかということが私の本意でございますが、いかがでございましょうか。

○副大臣(岸田文雄君)
 先生おっしゃるように、大学入試、どんな学生を集めるかということは、特色ある大学、個性ある大学をつくる上で大変重要なポイントだと思います。ですから、大学入学者選抜というもの、基本的にはそれぞれの大学が教育理念ですとか教育内容等、それぞれの考え方に応じて入学者受入れ方針を決めて、それに基づいて自主的に行うというのがあるべき姿だというふうに思います。
 そういった中にあって、今御指摘の大学入学者選抜実施要項、こうしたガイドラインを文部科学省としては今発しているわけですが、この要項の中身、ポイントとしましては、能力、適性等を多面的に判定するということ、それから適正かつ妥当な方法を使って実施するということ、それから入試に当たって高等学校教育を乱すことがないように配慮するということ、こういった辺りを求めるというのがこの要項のポイントであります。
 国立大学法人がスタートして、それぞれ新しい体制がスタートするわけでありますが、今申し上げましたようなポイントにおいては、やはり引き続きまして配慮というものが必要だと考えております。ですから、国立大学法人、スタートしましても、この辺の配慮だけはしっかりとしていただくようお願いはしていかなければいけないのではないかと認識しております。

○鈴木 寛
 それでは、入試に続きまして、今度は入学をいたしますと単位を取らなければいけません。その点についてでございますが、今、大学で必要履修単位数とか必修科目というものがございますが、このいわゆるカリキュラムの内容について現在文部省はどの程度関与をしているというか、ということについて教えていただきたいと思います。
 これは実は世間の誤解の方が強いのじゃないかというふうに思っておりまして、平成三年にかなり事情が変わっているようでありますし、それから三月二十九日の閣議決定の中でも何か変更があればその辺りの政策の変更について、現状とそれから今決まっているところの内容を教えていただきたいと思います。

○政府参考人(工藤智規君)
 戦後、先ほど先生御紹介ありました学校教育法が設置されまして、いわゆる新制大学が発足いたしました。その新制大学の理念は、しっかりした幅広い教養教育と深い学識、言わば専門知識、両様大学レベルで深められるだろうということなのでございますが、そのために、発足当初はいわゆる一般教育科目として、例えば人文、社会、自然の分野にわたって一定の単位が必要ですよね、あるいは保健体育、外国語の単位がどれぐらい必要ですよねということなど、大学設置基準という形でお示ししてまいりました。その後、幾たびか変遷しながら弾力化を図ってまいりまして、きっちりした区分けというよりはもう少し融通しながら各大学の工夫、努力ができるような仕組みにしてまいりました。
 今御指摘ありましたように、平成三年、それまで大学審議会で随分御議論いただきまして、これからの大学の教育の在り方というときに、もう自己責任で全部やってもらおうじゃないかと。大学設置基準の大綱化と言われてございますけれども、最低卒業所要単位は百二十四単位ということだけはお決めしてございますけれども、その中身について、それぞれの大学のそれぞれの学部、もちろん必要な科目というのはそれぞれの分野であるわけでございますけれども、一般教育に相当するような科目を区分しながら、何単位設けなきゃいけないとか、それを何年度に配置しなきゃいけないとかいうことも含めまして、すべて大学の自己責任の世界に任せられるようになったわけでございます。
 したがいまして、私ども文部科学省としても、それから法令の上でも、大学のカリキュラムの内容については一切口を差し挟んでいないというのが現状でございます。

○鈴木 寛
 昔はよく四年生になって体育が取れなくて留年をするというケースが、今でもございますが、それは文部省のせいではなくて各大学の自主判断だと、こういうことだということを確認させていただきました。
 それで、教員の任用についてお伺いをしようと思ったんですけれども、これは午前中の有馬先生の御質疑の中で、これからは非公務員型ということになる、その中で大変自由で弾力的な採用ができるようになって外国人の採用も可能になる、こういうことでございますので、この点についてはちょっと飛ばして、次に行きたいと思います。
 次に御質問をさせていただきたいのは組織、特に学部、学科の新設あるいは再編、改編の問題でございます。
 この学部、学科の再編といいますか、どういう学科あるいは学部をつくるか、これも大学の個性を発揮する非常に重要なポイントの一つ、入学試験と並んで大事なポイントだというふうに思います。どの大学にも目玉学部というのがございまして、この目玉学部をめぐっていろいろな有為な人材が集まってくるということもありますし、そういう意味でこの学部、学科、どうするか、大変重要だと思います。
 私がおりました慶応大学の湘南藤沢キャンパスでも、一九九〇年に環境情報学部と総合政策学部、これはいずれも新しいタイプの学部を文部省にお認めをいただいて十年間やってきまして、そして二〇〇一年から看護医療学部というこの三学部体制で湘南藤沢キャンパスの運営がなされているわけでありますけれども、私はこの国立大学の法人化後のいわゆる学部の新設、学科については相当程度緩やかにするということはお伺いをしておりますが、この学部、学科新設が国立、公立、私立それぞれどういうふうに変わっていくのか、少し教えていただきたいというふうに思います。

○政府参考人(工藤智規君)
 これは日本だけでなくてアメリカやヨーロッパも含めまして、それぞれの国の公教育制度の中での大学の位置付けということで、大学の発足あるいは学位の授与資格について、国等の、国あるいは連邦制の場合は州が多いのでございますが、公の認定あるいは認可という行為がなされてございます。
 私ども、国公私の大学についてでございますが、国立大学は自らが設置者なものですから、自らが認可するというのも変でございまして、御承知のように予算で措置されたもので、学部レベルにつきましては国会での御承認を得て法改正で従来やってまいりました。それを学科は省令とか、法令規定は違いますけれども、一応法令の改正によって国立大学の場合は学部、学科の改廃をしてございます。ただ、公私立に準じまして、関係の審議会の御審査は事実上経ながら同等にやっているわけでございます。
 それから、公立大学、私立大学は正に認可の対象なのでございますが、その組織によりましていろいろでございまして、例えば公立の場合は、学部の場合、学部の改廃が認可事項でございますが、学科は届出事項でございます。対して、私立大学につきましては学部、学科とも認可事項となってございます。これは以前、公立大学と同じく届出事項だった学科につきまして私学振興助成法が制定されたのを機会に公の関与を憲法上の関係から強める必要がございまして、届出事項を認可事項にした経緯がございます。
 昨今、私どもは中央教育審議会の方で御審議いただいておりますのは、規制改革会議の御提言などを受けまして、今のような器といいましょうか、学部、学科等の組織の認可というよりは、学位の課程による、その法学部で法学士を出すということであればいいんですけれども、法経学部であるいは政経学部でも法学士を出すという場合に、法学士を、新しく学位を出す課程について認可の対象にして、それをどういう学部、学科でやるかというのは大学に任せるような仕組みにしてはどうかという御検討をいただいてございます。
 他方で、そういう意味で事前の関与をできるだけ簡略化いたしまして、事後的に、大学人等によるアクレディテーション団体を育成することによって事後的な評価の仕組みを育てていきたいというのが今の方向でございます。

○鈴木 寛
 実は、三月の中教審の報告が出るまでは私はこの件、大変懸念をいたしておりました。ただ、中教審がかなり、今、局長からお話があった方向で検討されるということでございますので、大変期待をいたしておりますが。
 先ほども申し上げましたけれども、やっぱり学部をつくるときの文部省の認可を取る手続というのは、これ相当大変なんですね。看護医療学部をつくるときも相当大変でございましたし、それからもちろん、文部省の御説明によりますとそうでもないというふうにおっしゃっておりますけれども、新しい学部をつくるときは学年進行が完成するまで、ですから、要するに四年間ということですね、大学であれば、四年間は非常に年次ごとの具体的な計画、教育課程あるいは教員組織、そしてどういう人が先生をやるかとか、あるいは施設整備など、事細かに計画を出させられるわけでございまして、最初の特に四年間は相当大変だというのが新しい学部をつくるときの大学側の思いでございます。
 それから、そういう思いがあるものですから、先ほどの、ちょっと湘南藤沢キャンパスの例にまた戻って恐縮でございますが、看護医療学部というのが新しい学部なんですけれども、実態上、環境情報学部と総合政策学部というのはもう完全に同じ学部のような位置付けで大学運営が最近なされております。それで、それこそ大学内の自治でもって、今、実はクラスター制というものを導入いたしまして、ここは自由にやらせていただけるわけでありますが、十五のクラスターで完全に両学部が一体となったキャンパス運営というものが実態上はなっているんですけれども、であればそれでいいではないかというふうに思われるかもしれませんが、一つ問題がございまして、いわゆる高校生などに対して、十五のクラスターがあって、ここは一体的にとかということをなかなか説明するのは難しいんですね。
 であれば、本来であれば環境情報学部、総合政策学部が一体となって、新しい、これは学部と言うのかどうかということの議論もありますけれども、そうした再編をきちっと認可手続をやってやればいいのかもしれませんけれども、現在の、率直なところ、学内の状況も大変多忙を極めているということもありますし、そうした手続を踏む上で相当な事務的負担といいますか、手続的負担がある中で、ややゆがんだ実態と、それから世の中に対する説明と、ゆがんだ実態になっているというところがございまして、この点については、そういう状況もある中で学部運営というもの、あるいは学部の新設あるいは再編というものについて、是非中教審の御議論を一層進めていただきたいなというふうに思います。
 それからもう一つ、国立大学の方の学部の話でございますが、実は私、東京大学の情報学環、学環ですね、学部ではなくて、の設立にも少し横で見させていただいたといいますか、私自身も情報学環への参画を勧誘をしていただいたわけでありますが、これは非常にすばらしい学環、新しい組織だというふうに思っております。
 是非中教審の御議論の中で反映をしていただきたいと思いますのは、これは情報学環という新しい試みでありますけれども、できたプロセスを見ると、やっぱり東大だったからできたというのはあると思うんですね。文部省と何といいますか対等に議論をしながらいろんな議論をぶつけて、そしてできたということであります。
 実は、学部のありようというのは、行政組織上のあるいは国立大学設置法上の行政的な観点からの議論というのももちろん当然必要なわけでありますけれども、私は、どういう学部、あるいは今回は学部ではなくて学環だということで東大の場合はできたわけでありますけれども、学問のありよう自体、どういう学問クラスターをくっ付けていって教育なり研究をやるかという、本当にその学問領域のありよう自体を議論するという、単に一大学組織の組織論をやっているわけじゃないわけですね。
 だから、そういう意味で、正に新しい学をつくり出す、あるいは新しい知恵をつくり出すという意味で学部の新増設あるいは再編というのは大変重要な議論でありまして、これはしかし、現状の、先ほどのことが続きますと、最終的には文部省あるいはその前提となります審議会ということ、設置審ということになりますが、設置審は、率直に申し上げると非常に重鎮の、大御所の先生方が最終的には判こを押されると、こういうことになっています。東大の情報学環のときもそうだったんですけれども、若手の助教授とかあるいは若手の教授とか、非常に学問の最先端領域のメンバーが本当に昼に夜に集まって、これから情報学というのをどういうふうにつくるんだという大議論があった結果成っているわけでありまして、そうしたことを私は、九十九の国立大学、どの大学でもそういう現場の英知を結集して、新しい学問領域あるいはその研究組織あるいは教育組織のありようという議論が起こっていくことこそが、新しい国立大学法人体制における学の活性ということの観点からも大変重要なことだと思いますので、是非、学部の新設あるいは再編についての、自治権といいますか大学の自治ということについては一層の御配慮をいただきたいと思いますし、中教審の議論を議論としてとどめずに、是非、具体的なスケジュールに落とし込むまで早急に御議論をいただきたいな、できますれば国立大学法人化の議論と併せてその方向性が御提示をいただけるような御議論をしていただきたいというふうに思いますが、その点、再度お伺いをしたいと思います。

○政府参考人(工藤智規君)
 中教審の中間報告は今パブリックコメントを求めているところでございまして、約一月ほど各界の御意見を賜りながら、できればこの夏前、六月中にもその答申をいただきまして、早ければ、国会がお決めになることで恐縮でございますが、秋に臨時国会等予定されることがあれば、できるだけ早くそういう機会を見付けて、国会での御支援を賜りながら制度改正をしてまいりたいと思ってございます。
 それと、若干補足しますと、大学の内部の組織のありようというのは、確かに伝統的には教育研究が一体である、つまり先生も学生も同じく所属する学部というのが伝統的な形でございますけれども、四十年代の大学紛争を契機にしまして、各大学でいろんな改革案が出されました。その一つとして例えば筑波大学があるわけでございますが、学部制に代わる別の組織を設けれるような仕組みを取っているところでございますし、また、今の情報学環の動きも大変斬新なアイデアなわけでございますが、それは正に大学院レベルの組織原理への変更でございまして、私どももそれを支援しながら制度改正して、各大学の工夫でいろんな構成ができるようになっているところでございます。

○鈴木 寛
 ありがとうございました。
 それでは、今日は国立大学法人化のみならず大学全般についての集中審議ということでございますので議論をさせていただきたいわけでありますが、私は、そもそも国立と私立と公立、こういう法人化区分がどこまで必要なのだろうかということを是非問題提起としてさせていただきたいと思います。
 どうもいろんな議論を聞いていますと、国立大学は非常に公益性があって社会性があってと。私立大学は何か、何というんですか、経営重視で私益に走っているという議論に聞こえてならないわけであります。私立大学において研究教育に携わっていた私からしますと、やや違和感を覚える議論であります。私立大学の卒業生も国家社会のために貢献してもらおうと思って教育をしているわけでありますので、逆に、私立大学といいましても、皆様方よく御存じのように、別に株式会社じゃなくて、きちっと学校教育法あるいは私立学校法に基づいて公益性ある組織として設置が認められているわけであります。それから、私学助成ということで税金も使っているわけでありますから、私はあえて、中長期的課題としては、国立と公立と私立と、こういう学校区分というのはなくして、一様に大学法人法みたいなものができて、大学たるものをこうした公益性と自主性と独立性と、こういう法的な枠組みというものについて検討してはいかがかなという提案をさせていただきます。
 その提案の問題意識の根っこには、私立大学と国立大学、余りにもやっぱり支援の差があり過ぎるのではないかと、こういうことでございます。
 現在、国立大学には一兆五千四百二十五億の国費が投入されております。一方、私立大学は三千百九十七億円ということであります。これ、学生一人当たりに直しますと、私立大学が十七・一万円に対しまして、国立大学はその十一倍の百九十五万円であります。国立大学卒業生も私立大学卒業生もひとしく社会に貢献をしてくれているわけでありますから、この十一倍という差はやはり余りにも極端な差ではないかなというふうに思いますし、特に私立大学生が入学の年に掛かるお金というのは三百十六万七千八十一円なんですね、直近の調査によりますと。これはその家計の年収の三一・四%ということでありますので、これは私は大変ゆゆしき事態だと思います。私は、広く、国立大学、私立大学を区別せずに、学ぶ意欲があって一生懸命頑張っている学生全体を支援をしていくべきだというふうに思いますが、いかがかというふうに思います。
 それで、教育面について、国立大学がなくなった場合の問題点として、いわゆる実学以外の純粋学問についての教育がおろそかになると、こういうお話がございますが、実学を貴ぶ慶応大学でもきちっと哲学とかそうした学問は教えておりますし、人づくりの意味ということを見識ある関係者が考えれば、当然に何を教えなければいけないのかと、純粋科学は教えなければいけないということはこれは出てくるわけでありますし、それから当然そのところはアクレディテーションなどで評価をされるということになりますから、教育において私は国立と私立の差というのはそんなにないのではないかというふうに思います。
 ですから、私は、一つの方法論として、提案として、要するに国立であろうが私立であろうが学ぶ学生に対しては、今これ足しますと一兆五千億と三千二百億円ぐらいですから一兆八千六百億ぐらいになるんですけれども、これを大学生で頭割りしますと七十一万円ぐらいになるんですね。そうすると、一律に、一律にである必要はないんですけれども、もちろん学生に応じてなんですけれども、それを、それは学生の資質とか意欲によって変えるのは構いません。しかし、国立学生だから、私立学生だからということではなくて、その平均七十一万円というものをクーポンとかバウチャーにして、その学生の意欲と志と頑張りに応じて直接、組織に渡すんじゃなくて、この一兆八千億とかというお金を、今は慶応大学とか東京大学とか京都大学とか組織に渡して支援をしているわけでありますが、そうじゃなくて、学生の方にこの頭で渡していくような教育クーポンとか教育バウチャーというのは考えられるのではないかなということを一つ御提案を申し上げます。
 問題は研究の方であります。確かに市場メカニズムあるいは経営重視だけで基礎研究が成り立たない、あるいは純粋科学の研究を続けることが難しいと、この指摘はもっともだというふうに思いますが、これは私は国立大学が基礎研究ができて私立大学が基礎研究ができないと、こういうわけではないと思います。
 例えば、慶応大学医学部ではきちっと基礎研究をやっております。これは組織の問題ではなくて、先ほど有馬先生もおっしゃいましたけれども、対GDP比〇・四三%しか高等教育にお金を充てていないということの問題でありまして、東京大学が仮に基礎研究に強いといたしますと、これは国立なのだから強いのではなくて、国費が十分に投じられているから強いんだというふうに思います。それから、私立である慶応大学がそれなりに基礎研究に打ち込めているのも同じ理由だと思います。
 東大は年間に一千三百七十億ぐらいの国費が投じられています。京都大学は七百七十億ぐらいの国費が投じられています。東工大は二百六十五億、そして慶応は二百億なんですね。そして、早稲田が百億で、一橋が八十三億。地方大学は慶応とか早稲田以下といったらあれですけれども、のところはある。これは、私が申し上げたいのは、別に組織の問題ではなくて、正に国費、いわゆる基礎研究というか、経済的見返りを期待しないけれどもその研究に充ててくださいという国費をどれだけ国がつぎ込むかという議論であって、国立、私立の議論ではないと、こういう話であります。
 アメリカなどもこの点は、私立大学優勢ではありますけれども、先ほども有馬先生の御議論の中で御紹介がありました対GDP一・〇七%の国費をアメリカも投じています。ですから、ハーバード大学でもMITでもスタンフォードでもきちっとした基礎研究ができておりますし、それから、私は基礎研究の充実のためには国立の研究所というのを充実させるべきだと思います。
 アメリカでもJPL、ジェット推進研究所というのがありまして、これはNASAの基礎的な研究を支えている機関でありますが、ジェット推進研究所をカルテック、カリフォルニア工科大学に業務移管をしているわけですね。これによって非常に国立研究所とそうした大学とのいい意味でのコラボレーションというのができているということでありますから、そうした意味で、形式論にとらわれない、是非、基礎研究あるいは基礎学力あるいは純粋科学をこの国にどう育てていくのかという議論をしていただきたいというふうに思います。
 もう一つ、私が法人格の区別をなくすべきではないかという理由が全然別の観点からございます。それは何かといいますと、これは国立大学法人化をしますと、いろいろ言われておりますけれども、地方の国立大学が相当大変になるだろうという議論があります。それはそうなんだろうというふうに思いますが、そうなったときに地方公共団体の、当該所属地の地方公共団体のその地方の法人化後の国立大学に対する支援、これは地域社会と一体となった大学づくりという観点で望ましいとは思いますけれども、しかし一方、最近は地方公共団体は自前で県立大学をつくっております。
 となりますと、さらに私立大学の方も実は全体で見ますと経営大変でございまして、二〇〇〇年度で三割が定員割れであります。十八歳人口は九一年二百四万人をピークに二〇〇四年から急激に減少をしておりまして、二〇一〇年には百二十一万人。ですから、半減しているわけですね、ピーク時からしますと。でありますから、結果三割の定員割れと、こういうことになっているわけであります。
 この事態を救うためにはどうしたらいいかというと、まずは各大学が、私立であれ、地方の国立であれ、あるいは地方の公立であれ、特色化、個性化、アイデンティティー、だから入試と学部設定が大事だということを申し上げているわけでありますけれども、そこを相当特徴的な、特色的なことをやって、まずは特徴を出していく。そして、社会人とかあるいは外国人とか、今なかなか高等教育を受けたいと思っても受けられない、そうした学生の方々に入っていただくというところも一つの方策だというふうに思います。
 しかし、それをやってもなお相当抜本的な連携とか、要するに教員の交換とか単位の互換とか、更に言うと、もうちょっと言うと統廃合ということが必要になってきます。特に地方ベースにおきますと、独法化後の地方国立大学と、そして地方の県立大学と、そして経営の苦しくなった私立大学というものが厳然として存在するわけでありまして、この組織間の有機的な連携を図るためには、恐らく法人格が違うということが一つの障害になると。しかも、それが二、三年のうちにこの問題が顕在化してしまうかもしれないということを私は日本の大学改革を考える上で検討していかなければならないのではないかという観点で今の御議論もさせていただいているということを申し上げます。
 そして、最後でございますので、あといろいろお願いを申し上げたかったことは、〇・四三%、対GDP比率、これをとにかく何とかしていただきたいということであります。
 それから、本当に学生は大変でございます。これは先国会でも文部大臣にお話を申し上げまして、大変に御努力をいただきました。そのことは改めて感謝申し上げますが、奨学金の問題、引き続き御尽力をいただきますように。それから、先ほど申し上げましたように、社会人と外国人に対する奨学金問題についても是非、先ほどの大学活性化のためには不可欠でございますので、御尽力をいただきたいと。
 いろんなお願いを申し上げまして、時間となりましたので、私の質問とさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。


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