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 第155回臨時国会開会にあたって


昨日10月18日から、臨時国会が始まりました。2年目に入ります、私、鈴木 寛にとりましては、一段と身の引き締まる国会開会です。世界・日本が抱える課題が、ますます難しくなっていく中、私に課せられた責任も一挙に重くなりました。

この10月からの民主党の新体制では、私は、副幹事長と役員室次長を併せて仰せつかることとなりました。一言でいえば、民主党の官房機能の一翼を担うことになりました。平時であれば、喜ぶべきところでしょうが、今のような、非常事態においては大変です。ご案内のように、民主党も、結党以来の危機に直面しています。残念なことに、本気で現執行部を支えようという議員は余りいません(こうしたところが、民主党が最も正していくべき点だと思いますが・・)。しかし、国政に一日たりとも休日はありません。我々は、野党第一党としての責任を全うしなければならないにもかかわらず、そのためにどれだけの民主党議員が本気になってくれているのかも、心もとない状態です。でも、いや、だからこそ、たとえ少数であっても、日本を憂うる心ある人間が、奮起しなければと思っています。

特に、当初は大変だと思います。内外からの厳しい視線に耐え忍んでいかなければならないと覚悟しています。針のムシロです。しかし、幸いなことに、私の親友であり盟友である同期の参議院議員の大塚耕平さんも役員室次長兼政調副会長ということになりました。我々二人、さらにしっかりタッグを組んで、日本のために頑張っていこうと誓いあったところです。
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今国会の最大の争点は、最悪の日本経済立て直し問題と、北朝鮮問題に加えて、米国のイラク攻撃への日本の対応などの極めて重い問題についての党としてのきちんとした判断ができるよう職責を果たしていかなければなりません。

経済政策については、私なりには処方箋はすでに見えていて、それを如何に実現していくかという問題ですので、この点は、世論の理解と支持を得るためにひたすら一生懸命やるだけですが、イラク問題は、歴史的な難問です。
 
ブッシュ政権は、イラク攻撃について、すでに米国議会の同意を取り付けました。昨年のテロ以来、過敏になっている米国世論を背景に、ブッシュ政権は、1648年ウエストファリア条約締結以来の国際政治の基本原則を覆し、先制攻撃を堂々と正当化する大方針転換を打ち出しました。

この350年間は、近代国民国家たるもの、少なくとも他国の侵略に対する自衛の戦争であるとの大義名分と形式を整えて戦争を遂行してきましたが、ブッシュ政権は、今や大儀は必要ないという主張することによって先制攻撃を正々堂々と主張し始め、さらに、国連主義すら見直すかもしれないことをほのめかしています。そのことが世界中の有識者を驚かせているのです。ノーベル平和賞選定委員会や、共和党のスコウクロフト氏までがブッシュ政権の大方針転換に釘をさしています。

しかし、ことはそう単純ではありません。ブッシュ側近には、パウエル国務長官、ライス補佐官はじめ、安全保障の専門家たちがついていますが、そうした近代国民国家における常識を十分わかったうえで、先制攻撃という概念自体を正当化することに踏み切っているわけですから、相当な熟慮の末だと思います。この決断の背景は、申すまでもなく昨年のテロ事件です。もう二度と米国民の生命があのような形で脅かされてはならないという強いブッシュ政権の責任感から生じていることも事実です。イラクなどのいわゆる「ならずもの国家」の核兵器、生物化学兵器の
これ以上の開発・使用の芽を、今のうちに摘んでおかないと、将来大変な禍根を残すという強迫観念が、ブッシュ政権と米国民の多数に蔓延しているのです。

この問題は、私、鈴木 寛も、慶応大学助教授時代から、悩みぬいてきた大問題であり、また、今年4月から半年間実施してきた東大教養学部でのゼミ「テロ問題を読み解く」の主要テーマでもありました。この問題を解説するには、すくなくとも半年間のゼミが必要なのですが、問題の本質を掻い摘んで申し上げると、人類は「万民の万民に対する闘争状態」に平和を構築するために近代国家というものを形成してきました。すべての国民はそれぞれの抵抗権を一時的に国家に信託し、言い換えれば、パワーを国家に集権化しました。そして、その見返りとして、国家は、国民の生命と財産を国内外の脅威から守ることを義務としてきました。しかし、1990年以降の技術革新、とりわけ、もともと軍事技術でもあったコンピュ−ターやインターネットや携帯電話などが、個人個人が所有し、活用できるような技術革新が成功したことによって、パワーの自律・分散・協調化が進展し、この近代国民国家システムのほころびが目立つようになりました。大量殺傷力のある兵器・凶器の製造技術と管理(制御)技術までもが、超大国以外の国や組織が、より安価で、より簡易に入手・利用できるようになってしまったことが、我々の安全を急速に脅かしているのです。

昨年9月のテロを可能にしたのは、携帯電話とインターネットでした。そして、イラクの脅威は、核兵器・生物化学兵器の製造技術が拡散してしまったことによって発生しています。技術自体は中立です。軍事的にも、平和的にも、どちらにも利用することができますから、技術の拡散自体を止めることはほとんど困難です。

この問題、最終的には、技術を保有する人間の内心や組織の意思の問題になってきます。他人の生命・財産を脅かすための技術の利用を止めさせるためには、人間の心の教育ということに最後は行き着いてしまいます。しかし、全世界のすべての人に善良な精神を持ってもらうまで、どうしたらいいかということについては、完全な答えはありません。結局、相手と状況に応じて、色々な手段を組み合わせるしかありません。だから、難しいのです。

イラク問題も、このケースに応じて最善を尽くすしかありません。しかし、一つだけ明らかなことは、米国も、誰かに恨みを残すようなことをしてはいけません。ビン・ラディンも、湾岸戦争における米軍のサウジ駐留に怒ったことから、あのようなことにまでなってしまいました。

先日も、バリ島で外国人向けディスコで爆弾テロがありましたが、仮に、今回イラクの暴挙を止められたとしても、そのことで恨みをもった個人・組織が、米国をはじめ戦闘に参加した国の国民に対して、同じような報復措置を仕掛けてくる可能性が高まります。そして、それが世界中のどこでも起こりえます。なぜなら、その報復措置を仕掛けることができる人間は世界中に分散していて、米のFBI・CIAがどれだけ優秀であっても、それを未然に完全防止することは不可能であるということも念頭においておかねばなりません。

では、イラクの脅威を前に何もせず、手をこまねいているだけなのかとの米国関係者を十分に説得・納得させられるだけの確固たる理屈も確信もありません。国家だけで出来ることの限界を見せ付けられているのです。今こそ、国家と市民の真のパートナーシップが必要です。市民の力を結集するNGOの役割も高まっています。しかし、NGOが国家に成り代わって国民の生命・財産の安全保障を完全に担う組織・機関になる見通しも、今のところありません。実に難しい問題です。この問題を考えると、いつも悶絶せざるを得ません。今こそ、すべての人々の知恵と行動を引き出す政治の力が求められています。すべての人々の平和に向けての協働が必要です。恒久平和や、紛争の根絶は相当困難です。

しかし、緊張を緩和したり、寛解することは、みんなが知恵を絞れば可能になります。いずれにしても、大変な時代です。しかし、時代の変わり目に生まれ、そして、天の配材によって、今、政治に身を置いているものの務めを全力でまっとうしていくしかありません。頑張ります。

2002年10月19日 
(メルマガNO.14でも皆様にお届けいたしました) 


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