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 憲法調査会  「地方自治・住民投票制」について

2004年10月27日 


○鈴木寛

 民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
 我々民主党は、憲法の在り方を考えるに当たりまして、ポストモダンの時代における憲法とは何かという問題意識を持って議論をしております。
 ポストモダンの一つの様相といたしまして、ハイパーコミュニケーション社会の到来ということが挙げられようかと思いますが、その観点から、少しお話を申し上げたいと思います。
 以下は私の私見でもございますので、党全体の見解ということではございませんので、それは事前にあらかじめお断りはしたいと思います。
 今日、多くの委員の先生方から補完性の原理についての言及がございました。私も、この補完性の原理を最大限尊重するべきであるという見解については全く異存がないわけでありますが、そもそも、この補完性の原理とは何かということを改めてきちっと思い起こしたいわけでありますが、例えば、補完性の原理を議論する際によく引用されます、一九三一年のローマ法王のピウス十一世の言葉が時々引用されます。そのお言葉によりますと、個人が自発的にかつ自分で処理できる事柄を共同体が個人から奪ってはならないのと同様に、より下位のグループが十分処理できる事柄をそこから取り上げ、より上位の共同体に与えてしまうことは不当であり、かつ社会の秩序を大きく混乱させてしまうというくだりがございます。
 私は、ここで問題にしたいのは、このローカルという英語を日本では一義的に地方というふうな訳し方をいたしておりますが、このピウス十一世の言葉でもお分かりのように、共同体という言葉が使われているということを我々はきちっと注目をしなければならないというふうに思うわけであります。
 すなわち、従来の社会といいますのは、リージョナルコミュニティーとインタレストコミュニティーというのはほぼ同義というふうに考えてよかったというふうに思いますけれども、正にポストモダンにおけるハイパーコミュニケーション社会が到来をいたしますと、皆様もよく御存じのように、高度交通体系の整備は急速に進んでおりますし、これは一九四五年時点から比べても圧倒的に進んでおります。それから、情報通信網の整備も、これも圧倒的な飛躍を遂げているわけでありまして、そのことによっていわゆるインタレストコミュニティーが必ずしもリージョナルコミュニティーと同義ではない。要するに、我々の社会生活を支える重要なコミュニティーとしてリージョナルなコミュニティーとインタレストコミュニティーと、二つのコミュニティーが存在するということを我々はきちっと認識をすべきだろうというふうに思います。
 そうしましたときに、この補完性の原理というのは当然リージョナルコミュニティーの議論について適用されるべきであるという議論は、これはもう当然のことでありますが、同時に、インタレストコミュニティーについても適用されなければならないということの議論を深める必要があるのではないかというふうに思います。
 この文脈から道州制の議論というものを私は擁護したいわけでありますが、基礎自治体といいますのは、正にリージョナルコミュニティーの補完性の原理を貫徹するためにこれは極めて重要な概念でありますが、一方で、インタレストコミュニティーを我々市民としては構成をし、形作ると。こういう要請というものはポストモダンの社会においては極めて重要な要求事項になってくるというふうに思います。
 これは、首都圏に住む我々が正に都道府県の枠組みを超えて毎日のように移動をし、そしてコミュニケーションをしていると。そこに我々は明らかに何らかの、その首都圏の中であまたあるインタレストコミュニティーの、一つ以上のコミュニティーに所属をし、参画をし、そして日々の生活を営んでいるわけであります。
 このコミュニティーが十分にワークをするということはこれからの新しい憲法を作っていく上で極めて重要な要請の一つでもあり、その文脈の中で、ローカルコミュニティーに対してどのような権限と権能を付与していくのかという議論が私は、この地方自治と一九四五年段階で訳した概念の発展型の概念の中でいま一度議論されるべきことではないかということを付言申し上げ、その文脈の中で、道州制の中に多くのインタレストコミュニティーが今現存して、そしていると。そのガバナンス、あるいはそのファシリテートということについて憲法に空白があるということについての問題指摘をさせていただきたいというふうに存じます。
 ありがとうございました。
 以上です。

(他発言者の後)

○会長(関谷勝嗣君)
 今日は、今の時間は地方自治と住民投票制の問題でございます。そのことに関しまして、どうぞ、鈴木さん。

○鈴木寛

 要は、今日の議論は市民の意思というものを正に市民の利益に一番近いところの地方自治にどう反映させるかと、その中で、舛添先生も住民投票について決めろと、こういうお話だったと思いますが、全く私も同感でございます。
 それで、今、佐藤先生のお話もございましたので、一つ更に検討の視点として加えるべきは、要は市民の意思の何を、だれに、どう代表させるかと、その方法を直接制と間接制等の、どういうふうなデザインをしていくかということだと思うんですが、私、申し上げたいのは、アメリカの場合は、州は知事だけじゃなくて司法長官も教育長もあるいは場合によると財務長官とか総務長官とか、いろんなその例えば今の若い人たちが関心を持つといっても、これだけ選挙があれば多分いろいろ関心を持つんだと思うんですね。その選挙意思ごとに、今回は教育長官を選ぶのかとか、今回は司法長官を選ぶのかと。そうすると、正にその州のそのテーマ、イシューに応じてそれぞれの意思を反映するという意味で、いろんな意味でのこのチャネルが非常に多様で、きちっとこの市民意思とその反映というものに、直接民主制の観点からも間接民主制の工夫という観点も、両サイドから非常によく考えているというか、まあこれは歴史の積み重ねだと思いますが、やっぱり、やはり日本のいわゆる地方自治を考える場合にも、正にその市民意思を人に期待される場合、それから住民投票のようにその政策の中身に反映させる場合、いろいろあろうかと思いますが、そこの正につなぎ方といいますか、パイプのその渡し方というものについてもう少し精緻な突っ込んだ議論というものを必要としていくと、今の佐藤議員のその御関心にも少しおこたえられると思いますし、舛添先生の御議論を更に深められるのではないかというふうに思いましたので、済みません、お時間いただきましてありがとうございました




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