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 憲法調査会  憲法改正にについて

2005年02月25日 


○鈴木寛

 民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
 戦後六十年がたちました。私は、この二〇〇五年の現在において、新しいこの時代に合った憲法をつくり直すべきだという立場でございます。私からは、この時代、ポストモダンに差し掛かった時代とも言えますし、ハイパーモダンの時代とも言えるかと思いますが、このハイパーモダン時代になぜ新憲法をつくり直さなければいけないのかと、その目的について申し述べたいと思います。
 私は、このハードパワー時代において後塵を拝した我が国日本が、ソフトパワー、ヒューマンパワーの時代において、やはり世界の先導者、リーダーになる、そのことを目指すための新憲法制定であるべきだというふうに考えます。したがいまして、他国に先駆けて、我が国は経済大国中心主義を卒業して人づくり、文化、健康、環境と、そうしたことに立脚した正に立国を目指すべきだと。そのための価値の優先順位というものをこれから変えていくんだと、重点を移していくんだということのためにこの新憲法の制定というものが議論されるべきではないかというふうに思っております。
 正に新しい価値に裏付けられた、あるいはその実現をするための新世紀創造、そのイニシアチブを日本がソフトパワーにより取っていく、そして世界をリードしていく。そのことによって私は、我が国が各国から尊敬をされ名誉ある地位を占めたいというふうに思うわけであります。
 しからば、この重視すべき、重きを置くべきこの価値の優先順位というものを今から今後の新憲法においてどのように変えていくのかということについて、私の所信の一端を申し上げたいと思います。
 まず、大事にすべき価値でありますが、今までは富国強兵、経済成長の下に経済的価値というものを重要視をしてまいりました。引き続きもちろんこの価値は重要でありますが、それに加えまして、いわゆるライフ、生命、人生、生活という意味でのそうした価値を大事にする新憲法づくりというものを目指していきたいというふうに思います。
 それから、ハードパワーよりも、それも引き続き重要でありますけれども、やはりソフトパワー、ヒューマンパワーというものの要素をもっと大事にしていく。あるいは物質エネルギー、これも引き続き重要でありますが、加えて情報力といったものにこのウエートを置いていく、そうした国づくり、社会づくりが必要だと思います。
 その観点から申し上げますと、その重視すべき、大事にすべき組織の優先順位といいますのも、従来は経済利益最大化のためのヒエラルキー型の組織、すなわちは株式会社あるいは業界団体、あるいは生産者を所管、支援をする官庁というものが重要視をされましたが、これからは正にライフを支えるためのコミュニティーあるいはネットワークといったものが、そうした、それを支援するための組織、例えば学校あるいは保育所、あるいは医療機関、社会福祉施設、あるいはNPO、NGOというものが憲法上もより重要な位置付けをされるべきだというふうに思います。
 それから、現行憲法は個人の権利、尊厳というものを大事にしております。もちろんこのことは引き続き極めて重要な価値でありますが、加えまして、やはり子々孫々の利益といいますか、その価値ということについても私は新憲法で念頭に置くべきものであるというふうに思っております。その中には、子々孫々が生き延びていくあるいは豊かな人生を送っていく環境というものも含まれると思います。
 それから、新しい憲法制定における重視すべき活動の内容でございますが、今までは産業活動あるいは労働活動というものが憲法観の中心でありました。もちろんそのことは引き続き重要でありますが、加えまして健康とか文化、もう少しブレークダウンしますと、例えば出産とか育児とか、あるいは治療とか介護とか学習とか、あるいは交際、コミュニケーションと、こうした文化的な活動も、これからはその憲法制定のいろいろな仕組みづくりにおいて、あるいは権利設定において重視されるべきでありますし、今まではその生産、流通、消費活動というものに重きが置かれ、そのための社会システムというのができておりましたが、これからはそれに加えて文化創造あるいは人々のコミュニケーション、コラボレーションといったものが非常に重要になってまいりますし、知的創造、知的文化的創造活動というものがやはりその主眼に置かれるべきだというふうに考えます。
 そのために、この社会システムといたしましても、従来は国家共同体への従属、依存というものを助長する、あるいはそうしたものを促進をする社会システムが実態的にはかなり幅を利かせてまいりました。しかし、これからは共同体あるいは国家への自律的参加というものを促す、そうした社会システムづくりが必要だと思いますし、他者との競争というものが今までの主軸でありましたが、これからは他者との共同、コラボレーションというものも大事だと思います。
 それから、権利義務の在り方についても、従来、十九世紀型の国家の規制からの自由権というものが設定されておりましたが、現下の官僚主権の、極めて、余りにも過度な官僚主権になってしまった政府に対する対抗権という意味で、主権者による直接立法権でありますとか、行政に対する国民の側からの訴訟権、実質的訴訟権の確保といったようなことも必要だと思いますし、それから、従来は、この富の再配分を目指した国家に対する社会的請求権というのが二十世紀の憲法典において加えられました。これも当然に重要なものでありますが、加えて、ケーパビリティー、正にそれぞれの国民が豊かな人生、生活実現のための能力、機会を付与される、あるいはそれを支援される、実質的に支援をされる権利といったことも必要になってくるんではないかというふうに思います。
 それからもう一つ、権利と義務の設定でありますが、私は、これからは主権者の権利と主権者の義務と、これをきちっと憲法典に盛り込んでいくべきだというふうに思っております。
 当然、基本的人権は主権者の権利として引き続き深化、そして保障されていくべきだというふうに思いますが、加えまして、例えば次の世代、次世代、子々孫々の育成あるいは繁栄、あるいはその生存環境を守っていく、あるいは生育環境を整備をしていくと、こういったことも主権者の義務として再構成されるべきだというふうに思っております。
 そうした社会を実現する上で、統治システムについても議論が必要だと思っております。
 従来の憲法は、統治機構論の中では基本的にその重要な関心は国権にありました。そして、その国権を三権分立という、どのようにこの三権を分立させることによって国権のこのパフォーマンスを最大に上げていくかと、こういう配慮で憲法典が構成されていました。
 もちろん、この整備は引き続き重要でありますが、加えまして、この国家にだけ我々のこの社会生活の充実というものを依存できないという現実にかんがみますと、自助あるいは共助の権利というものも極めて重要な憲法上の関心事になってくるんではないかと。
 そうしますと、この自助、共助を支える公共権というものの設定を統治機構の議論の中で追加をしていく必要があると思いますし、それから、従来は権利と義務を設定し、その実施、行使あるいはその救済というものがこの統治システムの主眼でございました。この整備はもちろん引き続き必要でありますが、そうした行為規範を中心とした権利義務の設定ということに加えて、これから非常に重要なのは、権利と義務の行使に加えて、市民、国民が自発的に社会のために何か貢献をしていくと、そうした活動を促進をする社会システムというものを考えていかなければならない。
 そうしますと、人々はどうする、どういうときに自発をするのかというと、十分な熟議が、熟した議論が確保されて、そして、正に個々人のネットワークにおいてそうした自発的活動が共鳴をされると。こうした、正にフォーラム、公共権が社会の津々浦々に整備をされるということが極めて重要だというふうに思っておりまして、こういう観点も新憲法制定の意義であるということを認識しながら更に議論を深めていくべきではないかというふうに考えております。
 以上でございます。

 


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