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 憲法調査会  コミュニケーションの促進について

2005年3月2日


○鈴木寛

 
本日は、前文の在り方あるいは近代憲法論について議論がなされました。
憲法を議論する立場として、恐らく私は三つの立場があると思いますが、一つ目は護憲という立場、二つ目は前近代的憲法への復古という立場、三つ目は、近代憲法を充実をさせ、ポストモダン型憲法制定に半歩踏み出し深化をさせるという立場だと思います。 新しい憲法論議においては、この国の在り方、従来の国の在り方について考えるという、これは当然のことでありますが、それに加えて、国家が既にもう万能ではない、あるいは近代国民国家システムが揺らぎつつあるという時代背景を踏まえて、社会の在り方、更に申し上げれば、多様な社会の担い手の間の約束事の確認という議論も射程に置くべきだと思います。 その中で、新憲法制定においては、個人と国家という主体に加えて、中間集団、これは地方公共団体も含めた様々な地域的又は文化的、経済的なコミュニティーを指しますが、これを社会の重要な主体としてきちっと位置付けるべきだと思います。そうした場合には、個人と団体の間の私人間効力、憲法の私人間効力という議論も必要だと思いますし、その上で、社会の担い手であります個人、団体に、社会の担い手としての権利に加えて、責務、特に社会に対する責務あるいは子々孫々、次の世代に対する責務、次世代を育成する責務でありますとか、自然環境、文化環境、生活環境を保全し改善して次の世代に伝えるという責務、あるいは社会的弱者を支援するという責務が必要だと思います。 また、目指すべき国家社会像としては、従来の国家による経済力、権力の徴収、集中、その分配という機能に加えて、社会の多様な主体間のコミュニケーションの促進によって知恵を生み出し、それを現場において実践をすると。そのためのコミュニケーション、コラボレーション、クリエーションを媒介をする、メディエートする、日本としてはメディアステート、そういったことを目指すべき、それによって物質や文明のみならず、精神や文化によって平和と幸福が実現をされるという社会を目指すべきだというふうに思います。 そのためには、従来の自由権、社会権に並ぶ柱として、この実質的なコミュニケーションの主体として、すべての個人あるいは団体がそれの主体たり得るという意味での文化権、具体的には、尊厳ある文化的主体となるための学習権やコミュニケーション権、コミュニティーを創造する権利ということが必要だと思います。アイデンティティーや情報編集力などを獲得するための学習権として、何人も生涯にわたって健康で文化的な生活を営むために必要な学びを十分に支援される権利でありますとか、何人も学びの内容を決定し、実施する自由を侵されない権利でありますとか、あるいは、国はすべての国民が経済的、社会的な理由によってその学びを妨げられないように学習機会の増進、あるいは学習環境の改善を努めなければならないという権利をきちっと新憲法において位置付ける必要があると思います。 そして、コミュニケーション権については、情報の収集、編集、発信、あるいはそのためのコミュニティーの創造を支援される権利、そしてまた、他者がそうしたコミュニケーションを実現することを支援する責務というものを規定すべきではないかということを申し添えたいと思います。
 以上です。




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