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 日本のIT教育における現状と方向性


 皆さん、こんにちは。ご紹介をいただきました鈴木 寛でございます。参議院議員で早稲田大学のIT研究所の助教授とご紹介いただいたわけですが、私は、95年あたりから通産省の情報政策を4年間担当しておりました。その後、慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパスに移り情報社会論の助教授、2001年から現職をつとめています。
 私は、95年以来、日本に本当の情報社会というのを作っていきたいと考えております。そういう意味では、私は自分のことを、インフォメーション・ソサエティのソーシャル・プロデューサでありたいと、いつも思っております。
 そのような中で、新しいインフォメーション・ソサエティにふさわしいガバナンス・システムを作らなければいけません。また、新しいロー(Law)やコード(Code)を作らなくてはいけません。そして何よりも、そうした新しいガバナンスができる人材、新しいルールあるいはコードというものを作っていく人材が必要です。このような意味から、私は情報教育というものを、いかにこの国に定着をさせていくかを、95年以来取り組んできました。そのことを、今なお、国会議員としては文教政策の責任者、担当者として、そして早稲田大学の現場では、研究者として取り組み続けています。私はこの3月まで、母校でもある灘高等学校の情報科の教員もやっておりましたので、高等学校のティーチャとしてなど、いろいろな草鞋を履きながらやっております。
 今日、私と仲間たちがどのような情報社会を作っていきたいか、とりわけどのような情報教育、情報社会を担う人材を育成していきたいかなどについて、お話をさせていただきます。そういった世の中の流れのなかで、今日お集まりの皆様方というのは、大変に大事な役割を担っておられると思います。その役割を如何なく皆様方に頑張っていただきたいと、切望しております。
 今日の会場である、この丸ビルを作られました三菱地所の福沢会長さんは、福沢諭吉先生のお孫さんです。まさに明治維新のときと今の状況というのは、非常によく似ているということが言われています。福沢先生にちなんで、まずどういう観点で似ているのかということを、少しお話を申し上げます。
 当時、江戸時代の末期に藩校というのがあり、主として陽明学、朱子学という「漢学」というものを教えていました。それに対して、「洋学」を教えようという初めての試みで作られたのが、まさに慶応義塾であります。
 初めて、体系的な「英語教育」というものが教えられ、そして初めて「理財」という、「経済学」あるいは「経営学」にあたるものをしっかりと教えていくこと。その西洋の学問あるいは近代の学問を、教えていくという私塾がまさに慶応義塾であります。
 江戸の末期は、山口県の萩の長州藩が作る藩校であった「明倫館」という学校と、江戸から明治への維新を担っていった「松下村塾」、そして徐々に私塾が新しい時代を先取りして新しい時代感覚を身につけた若き人材を作っていきました。
 そのことによって、明治維新というものが成功したわけです。私は、この教育の状況というのは、それに匹敵するあるいはそれに近い状況にあるのではないかと思っています。
 今日は、いわゆる文部省の体系、あるいは日本の国が、当時でいえば藩校が何を教え何を目指しているか、ということについてご紹介をいたします。
 情報革命は、決して藩校あるいは文部省の官立学校による教育だけでは、決して成功させることはできません。むしろ、当時の私塾である慶応義塾や松下村塾が、多大な影響あるいは貢献を示したのと同じように、今日お集まりの民間の皆様方が、プライベートなイニシアチブでもって、日本あるいは世界に、大きなムーブメントを起していただくことが、情報社会革命成功の鍵だと思っております。そうした意味で、このIT Education Initiativeの、Initiativeというのは新しい情報社会革命のイニシアチブだということを、皆さんにもぜひご理解をいただいてご奮闘を期待したいと思います。
 95年から、当時通商産業省が文部省に先立ちまして全国の100の小中高学校、各都道府県からおよそ2校選び、インターネットを通産省の予算で引かせていただきました。そして、そのインターネットの回線料は、国(通産省)が全部持ち、何でも良いから自由に使ってくださいという、「100校プロジェクト」というものを、95年頃から私たちで始めたのが、この日本の情報教育の走りであります。そうした動きに呼応して、当時のNTTがこの1000校の学校に対して、同様に無料で回線を提供し、インターネットを学ぶ現場で使って欲しいという動きが始まり、通産省やNTTなど、いわゆる文部省ではないところから日本のIT教育、情報教育が始まっております。
 そうした具体的で先進的な事例を積み重ねた後、2002年、今年の4月1日から新しい学習指導要領になりました。新しい学習指導要領を作る過程が、1997年、1998年あたりがその準備の、一番濃い時間、重要な時期でした。私は文部省の新学習指導要領の策定をするチームに通産省から参加をしていました。この4月から完全週休2日制となる日本の小中高は、全体の授業の時間数が少なくなります。そこに、さらに情報学習を入れるということになると、既存の教科の削減をしなければなりません。そのような背景から、当時の文部省の主流派は、新学習指導要領のなかに、「情報教育」というものを入れることに対して非常にネガティブでした。
 情報学習というものを学校教育のなかで位置付けるということについて、かなりの抵抗があったわけですが、情報社会と向きあうなかで、「情報教育」というものは大変重要であります。2002年3月31日までに、1600万人いる小中高生、38,000校の小中高のすべてにパソコンを配備し、インターネットを接続するということが、政策的に完了しました。そして、この4月1日から「情報教育」が、38,000の小中高で始まっているというのが、現状です。
 情報教育はこのように、4月1日から始まっています。それがどのよう始まっているかということについて、少しお話をします。
その前に、私たちが、95年から一貫しつづけてきた、ある1つの主張を皆様方にぜひご理解をいただきたいと思います。それは、「情報教育」というのは「コンピュータ教育」とは、必ずしもイコールではないということです。
 即ち、その情報教育や、情報社会というのは、IT社会とは違うということ。IT社会というのは情報社会のプラットフォームであり、コンピュータやインターネット・コミュニケーションは、情報社会の必要条件あるいはその前提条件です。しかし、それは必要条件であって十分条件ではありません。
 情報というものが大切にされるのが、情報社会です。情報至上主義は大袈裟かもしれませんが、これまでの物質至上主義から、情報重視の社会へと価値観の転換が行われていることをしっかりと踏まえておかなければいけないということになります。新しい情報社会とは、情報、知、知恵、知識などの知的なるものを大事にする、感性も含め、目に見えない情報というものを大事にする社会。そして「情報教育」というのは、そうしたことを理解している人材を育成することではないでしょうか。
 コンピュータ・リテラシは、前提ではありますが、さらに情報教育のなかで子供達に、学習者達に伝えていかなければいけないのは何かというと、メディア・リテラシ、あるいはコミュニケーション能力であることを、この学習指導要領の改訂、あるいは日本における情報教育、情報学習支援という運動を展開していくなかで、常に繰り返し、確認をしながら様々な運動や活動を進めていることを、最初に強調させていただきたいと思います。
 そうしたなかで、わたしたちは、メディア・リテラシを、情報編集力という概念を強く打ち出しています。世の中に本当に種々雑多な情報が、洪水のように溢れています。今までは、情報が希少なる社会において産業社会は生きてきましたが、情報社会というのは情報多寡の時代であります。そうした情報社会に生きる人間として、情報の粗密あるいは、良い情報、悪い情報、種々雑多な情報のなかから自分にとって必要な情報をしっかりと検索をし、収集をし、そして収集をしてきた情報のなかで革新的な必要な部分を抽出をする。そして、いろいろな情報を、それぞれは断片情報でありますけれど、その情報を組み合わせ関係付けることによって新しい知というものをそこに発見をする。あるいは、知というものを創造する。さらにそれを、今度は他者に対して分かりやすくプレゼンテーションをする。この一連のプロセスを習熟するということが、情報編集力を身に付けるということであり、こうしたことが情報多寡の時代、そして情報がより重要となっている情報社会において、まさに生きる力だということが、私たちの基本的な考え方であります。
 それでは、そのような前提のもとに、現在のまず官の行っている、産業社会の主役であった国家というものが考えている教育がどのようになっているのかについて、お話をさせていただきたいと思います。
 文部省は幼稚園から大学まで、それから生涯学習を所管しているわけですが、このすべてのステージにおいて、情報教育というものを普及していくということに、遅ればせながら舵は切っております。
 学習指導要領は、10年に1回くらいしか変りません。ここで逃すと、2012年になってしまいますので、2002年の学習指導要領に情報教育を位置付けるか位置付けないかということに、私たちは必死でした。
 2002年の学習指導要領における、情報教育に関するポイントとしては次のようなことがあります。
 小学校は総合的学習的な時間のなかで、国際理解や環境など並び、「情報」というものを教えましょうということ。中学校は、技術課程という教科がありますが、そのカリキュラムの半分は、情報に当てるということ。そして、普通高校、専門高校、高校のレベルでは、「教科‐情報‐」が入るということ。「教科」をなぜ強調しているのかというと、「科目」ではないからです。科目と教科は何が違うかといいますと、理科というのが「教科」、理科という「教科」のなかに物理や化学、地学や生物などの「科目」があります。
 国語、算数、外国語、理科、社会という5つの教科に加えて、6番目のカテゴリとして情報が入ったということです。高等教育においては、一挙に情報教育の柱ができたということになります。
 それから、情報教育というのは、まさにその時代を変えていく、まったく新しいコンセプトであり、漢学、要するに中国の古典、史書、五経を読むという古典から、西洋近代科学をその福沢先生が導入をしたのと同じインパクトがあるということを申し上げます。要するに、今までの近代文明をどのようにマスターしていくかという学問体系、あるいは教育体系、それと並ぶだけの、新しい教育体系を導入していくということが、今回の情報教育の革新的な、その導入の意味であります。そういう意味では、単に6番目の教科という柱ができたことも画期的なわけですが、既存の教科のなかで情報というものを位置付けていかなければならないということが、もう1つの我々の強い主張でございました。
 少し余談になりますが、私たちは、教育改革のなかで新しい5教科ということをいっております。今までは国語、算数、理科、社会といっておりましたが、国語というのは21世紀の情報社会においてどのように捉えられるかというと、これはコミュニケーションということを磨いていくというふうに再定義できるのではないか。外国語は、まさに外国語を使ったコミュニケーション。数学というのは計算能力だけでなく何を情報社会では教えるのかということ。むしろ、ロジックというのを身に付けていくというのが、新しい21世紀における我々の考える教育体系であります。それから、理科はシミュレーションということになりますし、社会というのはロール・プレイングということになるかと思います。そして、体育とかあるいは音楽とか、図画、美術というのは、これはプレゼンテーション。このようになっていくのではないかというように思っています。そういう意味で、私たちは、将来的には、新しい5教科とか6教科ということを、情報社会における必要な生きる力として定義付けていきたいと思います。第1段階としては、既存の教科のなかで情報というものを位置付けていきたい。特に今まだ日本の教育関係者のなかには、情報教育というのは数学とか理科の類だとされる方がおり、現に学校現場では数学とか理科の先生が中心となって情報教育あるいは情報科の免許を取り、追加的にやっているという現状があります。しかし、これを私はぜひ変えていきたい。
 もちろん、理科と数学の先生に頑張っていただくことは大いに結構ですが、実は社会、社会科教育というものに情報教育というのはそぐうものであるべきなのです。ITというのは、非常に有力なツールであります。経営をやるにも、まずITなしには進めません。
 現実社会との接点ということでいうと、社会科教育における情報教育の重要性を私は強調したいと思います。また、こうした意味での意識啓発活動というのも重要だと考えます。
 私たちは、今までは「社会」というものは暗記だとされてきました。即ち、20世紀の教育の基本的な目的というのは、暗記力とその再現力をつけるというのが、この、主眼でありました。なぜかというと、教育というものは産業社会、特にその中心である工場労働、そこに行なわれている大量生産、大量消費、大量流通というシステムにおいて、最大のパフォーマンスを上げる労働力を作るのが20世紀の教育であったからです。従って、ベルトコンベアで流れていく分業されたそれぞれの仕事、ワークというものをこなしていくためにはマニュアルを覚えた方がよいという考え方です。時代が産業社会、特に日本は後発であったこともあり、大量生産大量消費パラダイムに生きていく人材を育成するという意味で、暗記力と再現力が、日本の戦後教育において追及されてきたのです。
 しかし、情報社会というものは、暗記力であるとか再現能力というものは、まさにコンピュータがやってくれるわけですから、人間というものはむしろそのオリジナルというものをどう作っていくかということ、情報編集力が重要になってくるのです。
 21世紀に生きる力の本質は何かといいますと、真、善、美を判断する力とそこでの判断を違うバックグラウンドの人間とともにコミュニケーションしていくこと。そして、違うバックグラウンド、違うタレントを持った人たちと一緒にコ・ラボレーションをしていくことが21世紀の生きる力だというふうに定義をしております。20世紀はコ・オペレーション、作業を一緒にする、コ・グッド・コーポレーターを作ることが20世紀の教育の目的でありましたが、21世紀は、グッド・コラボレーターを作ることが、21世紀の目的であります。コ・ラボレーション、即ち違うバックグラウンド、違うタレントを持った人たちが集まって仮説を立ててそれを検証し、フィードバックをしてよりいろいろな見方を加えながら、そして真理に接近をしていく、真理に迫っていくと。こうした試行錯誤をきちっとできる人材というものが、21世紀の必要な人材像でありますから、そういう意味で、今まで暗記の科目であった社会を徹底的に変えていきたいというふうに、私たちは考えております。
 調べるということ、まさにラボレーションができるということが、非常に重要であり、小学校3年生のなかから、強く打ち出していくことを方針としています。そういった精神を小学校、中学校、高等学校のすべての段階で位置付けさせています。
 情報科本体のほうは、中学校の技術家庭の半分が情報教育ということになり、コンピュータの基礎的な構成、機能操作などをきちっと教えていくということになります。
 ここで皆さんにぜひご理解をいただきたいメッセージは、PPPという概念。これは、プライベート、そしてパブリック、パートナシップいうことを意味します。
 率直に申し上げて、現在の学校現場、小学校、中学校、高等学校の学校現場で、コンピュータあるいは、先程から触れているコンピュータ・リテラシですら、その指導ができる教員の数というのは、増えきたと言っても、未だに40%しかいません。ということは、残り60%の教員の皆さんは、コンピュータを使った教育はできないのが現状です。そして日本の終身雇用を前提とした、教員制度の抜本的改革を、私は、別途教育改革のほうで取り組んでいますが、それには少し時間が要ります。
 こうした日本における現職教員の実態を鑑みますと、私はこのPPPというものを早急に日本に入れていかなければならないと思っています。即ち、学校の「情報教育」というものを民間の情報教育機関にやはりアウトソーシングせざるを得ないだろうと。アウトソーシングと言ってしまうと怒られますので、PPPと呼んでいるわけですが、官と民が、パートナーシップを組んで、今の官の抱えている、公立の抱えている教員の体制ではどうしてもカバーできない部分というのは、ここはもうプライベート・セクターにお願いせざるを得ないというふうに思っています。
 これは学校のなかでお願いをするのか、そもそも学校のなかでは諦めて、今日いらしている皆様のような方にお願いするのか―、それはいろいろな類型があると思います。それは小学校の場合はどうで、高校の場合だとこうだといった、いろんなパターンがあると思います。広い意味で、プライベート・セクターに、この部分は当面担っていただかざるを得ないというのが、現実的な判断だと思います。政治的なプレゼンテーションはいろいろあると思いますが、いずれにしても、いろいろな便法あるいは工夫をしてでも、日本の情報社会プロデュースのためには、こうしたその動きが非常に重要であります。今日お集まりいただいた皆様方は、全国各地に、各地で具体的にそうした学習者に対して、コンピュータ・リテラシあるいはメディア・リテラシの、能力を付与するそうした現場を持っておられる皆様方でありますから、まさにPPPのプライベート・セクターの主役である皆様方が今日お見えということになります。そういう意味で私は大変に皆様方の役割は重要だということを、今日敢えて申し上げたいと思っております。
 効果的な学習、習熟ということが可能になるのではないかということで、社会的なウェルフェアを考えました時には、PPPの考え方を導入せざるを得ないと思っております。特に、イギリスにおいてはすでに、こうしたPPPでもって情報教育をやらないといけないという考え方は、主流になっております。早晩、日本においてもこういう時代が来るのではないかと思っており、私もその文教政策の現場で主張していきたいと思います。
 
 さて、先ほど申し上げたとおり、適切な収集、処理、発信などのまさにメディア・リテラシは、高校における方針として盛り込まれています。私は情報社会論の専攻だということもあり、さらに、ネットワーク社会や情報社会の本質について、きちっと理解をしてもらいたいということ、あるいは、そこに参画するその一員であるということはどういうことなのかということ、そういうことを込めまして、現在の学習指導要領はこういうようなことになっています。こういうことになっている背景は、先ほど縷々ご説明した思いがこういうことに反映されているということであります。
 情報科の高校というのも、理想といいますか、その目指すべきところというのは学習指導要領のベースでは、ある程度盛り込まれていると思いますし、紙においては、あるいは言葉の上において、私たちが主張してきたこと、目指していること、希望していること、期待していることというのは、あのような形で反映されているわけであります。
 それでは、現状はどうかといいますと、なかなかこうした思いを現場のレベルに落とし込むのは非常に難しいというのが率直な現状分析であります。それを少しハード面、ヒューマン面の両方で、概観をしてみたいと思います。
 ハードについては、次のようなことであります。基本的には中学校以上においては、1人1台以上の学習環境というのは整っています、これは、日本はハードを普及させることは着々と進めますから、放っておいてもうまくやると思います。Eジャパンのなかでも、さらにそのアメリカがまだ進んでおりますが、2005年などには各教室にインターネットが張り巡らされて、パソコンが配備されるということもできるかもしれません。ただ、1つこのスライドで注目していただきたいのは、政府の計画は22台という点です。しかし、この実態は16台なのです。これはどういうことかといいますと、基本的には政府は大きな方針を出します。そして地方交付税ということで、色の付かないお金ではありますが、その枠は地方公共団体に渡しています。名目はきちんとパソコンを小学校に22台導入しなさいということで、地方交付税という形で公共団体に渡していますが、それを具体的に何に使うかは地方公共団体の首長の判断になります。ということは、22台分のお金を仕送りしているのですが、6台分は他のところに消えているということが、このスライドから分かります。そういう意味ではやはり地方の首長の、認識自体がいかに重要かということがお分かりになると思います。逆に精神的な情報社会創造に理解のある知事がいる、橋本大二郎さん率いる高知県、あるいは増田さんが知事をされている岩手県、また、岐阜県などのこうした所に比べ、むしろ東京などは遅れています。特に2年前まで、東京都は、石原都政の前半は、ワースト5に入っていました。2年前あたりからその石原都政も、方針変更をして、今一生懸命キャッチアップすべく追いついておりますが、そういう意味で、今地域間競走が、この世界でも重要になっているという話であります。そして、人の問題でありますけれども、これも、こういう状況でございまして、使えるのはだいたい8割ということになってきております。
 これが先ほど申し上げました、問題の資料でして、この本来高等学校の教育なんていうものは、全教科ITを使ってがんがんやるというのが理想ですが、3割しかいないという問題があります。従って先程申し上げたプライベートとパブリックがパートナーシップを組んで、プライベートセクターの方々に教育現場に入ってきていただくことは、とても重要なことになります。
 しかし、昨年、前国会において、教員免許を持っていない方々、あるいは持っていても民間企業で勤めておられた方々、そうした方々が特別免許状を交付するとか、あるいはそのいわゆる補助教員やパートタイムのティーチャーということで、学校に入っていくという道は制度的にかなり整備をいたしました。従って、あとはこれもまた現場の市町村あるいはその県の判断となり、この辺も地域的な取り組みの差が出てくるところだと思っております。
 今日は全国からお集まりだと聞いておりますので、ぜひ、その動きが鈍いなという県の方々は、そういう意味で県当局あるいは市町村首長を、突き上げていただくことはとても大事だということを、ご理解いただきたいと思います。
 実は、高知県、岐阜県というのは、国の数年以上先駆け、当の昔に、国からお金を貰う前から県の予算ですべての公立学校に対するインターネットの整備に取り組んでいます。国の手当ては、2002年3月31日までにインターネットがすべての100%の小中高で配備されるだけの予算を地方に渡しております。しかし、これも同じ話でありまして、25%は何処へ消えてしまっている、あるいは、10%は他の処へ消えてしまっている、ということでして、100%でない所は、税金の多目的利用が行われているわけでありますから、ぜひ市民の皆さんにチェックをしていただきたいと思います。もちろん、それは地方の自主性でありますから、そこまで国としては、口は出せませんが、「情報社会」に対してどれだけ熱心に取り組んでいるかというメルクマになると思います。国は2002年3月31日ですが、高知県、岐阜県は98年当時にはもうすでにインターネット100%接続することができておりました。
 ただ問題は、回線の太さ。依然として電話線が細いのが現状であり、ブロードバンド時代に対応した、学習環境を作っていくということについては、相当なボトルネックを抱えているということが、指摘できると思います。
 ですが、ここも先進県は今やもう安くなっております、ADSLも。いわゆる学習環境としてのインフラについては、今のような現状ですが、少し懸念事項をお話させていただきますと、やはりある種のブロードバンド僻地やインターネット僻地も20%あるわけです。そういった地域のリーダーの意識によって、意識の遅れによって地域的にIT教育、情報教育というものが欠落をしてしまう市町村がこれから出てくるということは、残念ながら実態として起こっているといえると思います。それから、さらに申し上げると、その、学校間の格差もかなり出てこようかと思います。
 校長の、学校のトップ、リーダーのコンピュータあるいは情報教育についての理解、その重要性についての理解というものによって、相当その学校間の格差が出ております。それから、先程申し上げましたように、理科、数学の先生はある程度「情報」というものをやらなくてはいけないと。しかし、やはり全教科にこれから導入していくということが非常に重要になります。特に社会科。そうなったときに、この差というものが非常に色濃く表れるだろうと思っております。
 それから、コンピュータのあるいはインターネット、いわゆる情報社会の陰の部分。有害情報とか、クラッキングとか、あるいはプライバシーが盗まれてしまうとか、そのようないろいろな陰の部分に対して、非常に鈍感か過敏かということ。
 もちろん陰の部分は陰の部分として十分理解することは必要ですが、「うちの学校ではインターネットには接続させない」といった学校も、実はいっぱいあります。そういうふうに、過敏になりすぎても、不幸であります。社会に出ていけばあるいは社会に出てなくても、今現在の小学生、中学生でも学校から外に一歩出れば、情報社会のいろいろなものにさらされるわけです。むしろ、そうした情報に関する何らかのトラブルに巻き込まれたときに、それをどう自力であるいはその仲間と協力しながら、アクシデントを乗り越えていくのか、あるいはそういうことを自分でいかにプロテクトするのか、といったトラブルに対する対応能力を身に付けていくということが、実は情報教育で重要なのです。そういったポリシーや考え方に基づいて現場での教育というのを進めていかなくてはいけないのですが、どうしてもその「危ないものから遠ざけていこう」という、そのことがむしろ情報社会に生きる力をものすごく削いでいるという現状をみても、情報社会、情報教育を普及していこうという私たちにとって、皆さんの、お力というのは非常に重要になってくるのです。
 自治体あるいは教育委員会の例を聞いても、いわゆるフィルタリングに関しては、非常に敏感である所から大変に甘い所まで、ばらばらで、こういった点も、的確な方針と的確な対応が望まれます。
 最後に再度申し上げたいことは、情報教育というものは、先ほど申し上げましたような、情報の社会というものを、情報を大事にする社会において情報編集力というものをどう身に付けていくか。ひいては、情報社会において、そのトラブルに対する対応も含めて、情報社会に生きる力をどのように身に付けていくかということだと思います。
 実は、インターネット、あるいはブロードバンドになれば、これから重要なコンテンツの1つに動画というものがあります。私たちがもう1つ、慶応大学の高橋潤二郎先生、などと一緒に取り組んでる話は、GIS、ジオフィカル・インフォメーション・システムです。地理情報システムなどを、そのブロードバンドならではの教材コンテンツとして取り組んでいます。私たちがぜひ学校の現場に、あるいは学習者に伝えていきたいことは、インターネットとは哲学だということ。あるいは、GISというのは哲学だということです。私は慶応大学あるいは編集工学研究所と一緒に、あのクロノス・システムというシステムを作りました。これは、ITを使って情報空間、サイバー空間のなかにタイムトンネルを作り、歴史的な事象を、松岡正剛さんの情報の歴史という本を素材に歴史的に起こった事件を、緯度、経度、そして時間の3つの情報を付けて、情報空間に並べてタイムトンネルのように行き来できるという情報ソフトを作りました。
 これを用いまして、灘高校の高校2年生に、その1学期間懸け、自分なりに司馬遼太郎になったつもりで歴史新聞を作ってみようという授業を、社会と情報の融合の1つのモデル的な授業として、私が教壇に立って進めさせていただきました。その授業を通じて、時空(時間と空間)を縦横無尽に動き回るということは、考える時とか分析をする時の、人間の認知フレームワークであり、認識論の基本的な構造が、こういった情報ツールを使うことによって人間の頭のなかにできるということを、目の当たりにしました。
 本当に情報教育のもつ可能性は無限だと思います。人間の物の考え方、認知フレームワーク、そうしたことに対しても、新しいインパクトと、人間の脳自体を変えていくのが、「情報教育」だということを私も日々の教育体験のなかで実感をしております。それだけ脳のなかを変える、まさに意識を変えるからこそ、情報社会の革命に繋がっていくように私は思います。
 それだけ大変かつ重要な局面に今はあり、そしてこれからブロードバンド時代になると、いよいよ本格的にITというものを駆使して、様々な社会生活、経済活動、学習活動、あるいは医療活動というものが行われていきます。今までのナローバンドのときは序章であり単に、ほんの慣らし、助走してたにすぎません。いよいよブロードバンドになり、本格的な情報社会のプラットフォームができます。必要条件は整いました。これからは、十分条件にしていくために、知というものを大事にする社会を作り、知というものを大事にし、それを縦横無尽に使いこなせる人材を作るという意味での「情報教育」が、まさに情報社会創造の革新的な役割を担うということ。そして、そのなかで、新しい私塾を皆様方が運営されているわけで、これからもその可能性は大いにあると思います。皆様方の歴史的な革命的なお仕事が成功されますことをお祈り申し上げまして、私のプレゼンテーションとさせていただきます。どうも、ご清聴をありがとうございました。

 2002年11月吉日 
日本のIT教育に関する講演会 


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