お断り:このページは、旧サイトのデザインになっており、ナビゲーションメニュー等が一部異なることをご了承ください。
 
  鼎談「教育の再生」


鈴木 寛  今日は、金子さんと、藤原さんと私の3人で、鼎談を進めていきたいと思います。金子先生は慶應幼稚舎の舎長を九九年四月から三年半のお務めを終わられて、兼務されていた慶應義塾大学SFC大学院のフルタイムの教授に戻られたところです。九九年の四月には、教育改革国民会議のメンバーとして、特に第二分科会の主査として、学校経営というものをつくり直そうという、今の学校の現場に根づいた議論をリードしておられた先生です。私も慶應大学時代は、大学院では金子研究室の助教授として一緒に活動をさせていただきました。そこで「コミュニティ・スクール構想」というプランを一緒に練らさせていただいたり、その本を出させていただいたというご縁です。そして、藤原さんは、九八年に『よのなか』を出版され、ベストセラーになりました。そして二〇〇〇年から「よのなか」科の社会を、区立足立十一中で始められました。「よのなか国語」の授業を、二〇〇二年の四月から開始されています。一貫して、授業をおもしろく変えてしまおうということで、具体的な授業を都内各地の学校で展開されていまして、二〇〇三年四月に都内公立中学校校長就任予定ということですね。もともとリクルートでバリバリの営業部長をやっておられたのですが、三児の父として、教育に目覚められた。そのころから我々三人のいろいろなプロジェクトが始まるわけです。その一つは「シーフォースベイ・プロジェクト」といいまして、ゲームで子どもが遊んでばかりいる。だったらむしろゲームで子どもたちの学びをつくったらいいのではないかということで、慶應幼稚舎を舞台に藤原さんたちのチームと一緒になって学習支援ソフトもつくらせていただいたりもしました。
 そのお二人を迎えてきょうは「教育の再生」ということですが、まず、小学校の校長先生を務め上げられた金子先生に、今どのあたりが問題で、どのあたりを再生しなければいけないかをお伺いしたい。
金子郁容(慶應義塾大学教授)  今、世間の一番の話題は学力低下ですが、すごくおかしいのは、大学生が今学力が低下しているというけど、この大学生は別にゆとり教育の申し子では全然ない。にもかかわらず、一部の人がそういうことを言って、もっと詰め込まなければいけないというほうに議論が向かっている。必ずしも総合的学習の時間がいいと私は思っていないし、きょうは神社に行って、きょうは盲導犬を連れてきたというだけで、そこにストーリや何を学ばせたいのかという意図が見えないものでは、全然いいとは思わないけれども、今は、すごく些末なところに議論が行ってしまって、塾だけがもうかるみたいな。まあ、塾がもうかることは悪いことではないけれども、それはすごくおかしい。たとえば突然、文部科学省が、学習指導要領を、これは最低限度です、昔からそうなはずだけれど、補習してくださいとか宿題をたくさん出してくださいと言いながら、全国一律で土曜日を休みにしろというのはおかしな話で、休みにしたければするし、この地区で土曜日しっかりやろうと。たとえばコミュニティ・スクールモデル校の土堂小学校(尾道市)みたいに完全にコミュニティの中の学校でみんながそこに集まってくるところだったら土曜日やってもいいし、津のモデル校の南が岡小学校、ここもまたちょっとおもしろい校長を公募したんですが、そこはコミュニティが新しくて住民同士があまりよく知らない、それではコミュニティ・スクールで集まりましょうというのであれば、土曜日も学校を開講すればいいし、それぞれ学校とか地域で決めればいいところを、一方ではそういうことにしている。さらに、今度は「発展的学習」というわけのわからない指導があって、ここをこうしろ、ああしろと事細かに、文部省が指示を出してくる。結局それ以外やってはいけないということになってしまう。その辺がいろいろな思惑が乱れて大変混乱している。もうちょっと基本的に学校とか周りの人がよく考えて、自分たちでこれぞと思えるものを、確信をもって、いろんなところで試行錯誤するというべきです。
 教育というのは試行錯誤だと思うんです。もちろん人体実験ではないからある子どもを二つに分けて、悪い教育、いい教育をやってどっちがいいか見ようというのはよくないけれども、基本的にあれやこれやとオープンソース的に日本じゅうの学校がいろいろなことを試す。それならいいと思って試す。それでいいところを見ていくことをすることから本当の学力が出ると思う。まあ、学力が何かというのはほとんど不毛の論争だけれど。今そういうすごくおかしなことが起こっている。
 一方では文部科学省も大学の評価制度みたいに、制度だけは、ものすごく早く、現場が真っ青になるくらい変わっているものもある。でも精神が入っていない。制度と実態はすごくギャップで、結構現場の人は困っています。藤原さんがある学校から望まれて校長になりたいと。これはすぐ決まるはずのもので、だれも文句ないはずなのに、それが聞くところによればかなり時間がかかってしまったというのは、すごくおかしなことだ。
 ただ、チャンスも出てきた。特区もすごく小出しで、「もっと一挙に何とかしろよッ」と揺すりたい気もするけれど、長野県はずいぶん出したみたいだし、使いようによって使えるなと。その辺、小中から大学にかけてこの二、三年とてもおもしろいことが起こるのではないかなと思います。
鈴木  大学の学部・学科の新設・再編の許可制から届出制への移行、第3者評価の導入などの大学改革について、また、特区のなかで教育分野について、国会で取り上げ議論してきたのは、私だと思いますが、今は、いろんな知恵を出せば、それが、きちんと取り上げられて、形になるんだ実態と雰囲気を文部政策議論のなかにつくっていこうとがんばってきていました。
それでは、校長就任を一年間塩漬けにされてきた藤原さんから見て、今の教育のどの辺が問題で、どの辺をどう再生していったらいいかを伺いたい。
藤原和博(東京都杉並区教育委員会参与・元リクルート・フェロー)  問題意識は金子先生とまったく一緒で、この三年間マスコミもかなり大騒ぎしてきた「学力か、ゆとりか」みたいな二つに分けて、学力というほうに相当強い方々が発言力を増してきました。ゆとりというほうは土曜日を休みにするとか、学習指導要領三割削減、それから総合的学習の時間を入れるというこの三つぐらいのことを「ゆとり」というふうに言ってしまって、それを攻撃する。残念ながら学力とかといった大事な論争を置いといて、とにかく勉強をもっとさせないと大変だ、大学生が分数の割り算をできないと。これは大学生だけではなくて、あの調査の問題をやったら大人もほとんど解けない。あるいは誤答率が非常に高いと思います。そういうことを置いてゆとりを攻撃してしまったというのが非常に間違いだと思っています。なぜなら学力が低くていいわけはないけれども、ゆとりがなければ学力は深まらないというのは間違いのない真実です。両方追い求めるべきだと僕は初めから思うんです。
 その議論が盛り上がったために、その根本にある非常に大事な問題、学習そのものに対する動機づけがどんどん減ってきている。学ぶことへの動機づけが、あるいは僕なりの言い方をすると、世の中と子どもたちとのかかわり方がどんどん疎遠になってしまって、それによって子どもたちが世の中に対して動機づかない。そのまま中、高、大と行っても、今大学を卒業した新卒の学生のうち二一・三%が無業者になる。学び続けもしないし、働きもしない。この問題をもう少しちゃんと考えないといけない。要するに「もっと動機づけることができる教育」という話になると思います。僕は動機づけそのものが教育だと思っているぐらいだから、そこが非常に大事なところだと思いますね。具体的に私はどういうことを考えているか、あるいは何をやってきたかについては後ほど話します。
 先ほどの話ですが、何年か限って校長職を雇うというプロ採用、リクルートでいうと「フェロー」、大学でも客員教授がいると思うんです。そういう制度が都のほうになかったので、結局それをつくるのに時間が一年必要だった。去年の一二月に校長職だけではなく医者とか弁護士をプロとして五年間を限りに雇うというのが条例で通ったんです。それによって初めて僕が期限つきでプロとして入る形ができるようになった。
鈴木  足立十一中の「よのなか」科の話を少しお話してください。藤原さんが校長になるということは、単に校長になりたいということではなくて、そもそも『よのなか』という本を書かれ、その延長線で、動機づけ教育だということで、具体的にどういう授業がありうるのか?実際にやってみようということで、いわば、授業開発のアントルプルヌール(起業家)をやっていらっしゃるわけですね。さらに、そうした授業を学校全体でちゃんと展開していけるような学校をつくりたいということで校長先生を引き受けてみようと思っていらっしゃるということだと思うのですが、では、そもそもなぜ「よのなか」科をつくろうと思ったのか?もう二年ぐらいになりますが、やってみて、振り返って、いかがですか?
藤原  『人生の教科書[よのなか]』を筑摩書房から出したのが九八年の暮れです。遡ることその半年ぐらい前に一冊の教科書と出会った。それが中学の公民の教科書だったんです。中学公民というのは経済、政治、現代社会という僕らが生きている一番ダイナミックな世界を初めて体系的に子どもたちに知らせる場なわけです。私立によっては中学三年でやらないで高校一年にやっているところもありますが、そこで描かれている世界が非常にのっぺりとした、まったく立体感の感じられない、知識の束。たとえば「貨幣とは」というのが来て、私が最初に見たのは旧指導要領のものですが、今さら和同開珎の写真が載っていたりする(笑)。貨幣の機能を三つ述べている。価値の保存とか、なんとかかんとか。
鈴木  マルクスの『資本論』のダイジェストですね(笑)。
藤原  また政治の始まりはロック、ルソー、モンテスキューがそれぞれ何を語ったか、じゃあモンテスキューはこのうちの何ですか、みたいな。三権分立だったかな、僕なんかもう忘れました。そういう知識の束。後々いろいろな議論をするときに知識をある程度体系的に記憶させることはある時期非常に大事なことだと思うんですが、しかし、それを体の中に、根っこのところに何も政治的な体験、経済的な体験がない中で、知識の束を押しつけても“よりしろ”がない。よりしろをつくってあげる。もうちょっと世の中のいろんなダイナミックな面を疑似体験させるような授業をやることで、後々そういう知識を学んでも全部腑に落ちていくということをデザインした。それが「よのなか」科で、たとえば「貨幣とは」で三つの機能を述べよではなくて、ハンバーガー屋の店長になってみようというところから始まって、どうしたらもうかるようになりますか、そこから原価がどうだとか、一日の売り上げを計算してみる。そういうふうに始めたんです。
 政治に関しても、新指導要領でもこれは変わらないんですが、必ず基本的人権から入りまして、憲法の問題から国会に来て衆議院、参議院、そして最後に地方自治です。ところが、子どもにとっては最も遠いところから語り起こしている。僕がやるのは、一番小さな政治単位は家族だから、家の間取りをデザインしてみよう、そこから始まって、家族の関係は非常に見えてきて、彼らもそれを再認識する。次に地域社会に出ていって、自転車放置問題を議論してみよう。足立区立中学の場合には鈴木寛さんがお越しになったけれども、杉並区立向陽中の場合には区長が来たり。僕は区議会議員ぐらいが来るのがちょうどいいんじゃないかと思うんですが。実際自転車放置問題に取り組んでいますからね。そこで子どもたちが議論して自転車放置問題をどうやったらなくせるかというのをプレゼンするみたいな。そこまでやって、「シムシティ」というゲームをやらせて市長を疑似体験してから、その大きいのが国の政治だよと、そういうふうに逆に教えてやるほうが腑に落ちる。そんな手法で経済でも政治でも現代社会の問題でも一番身近なところから議論させることをやりました。それが足立で年間二五回ぐらい。経済で七回、政治でも七回ぐらい。現代社会の諸問題、少年法の問題、法律の問題で五回ぐらい。あとクローンとか自殺とか、人の命という倫理社会といわれるところまで入るんです。それが『世界でいちばん受けたい授業』にまとまって、まずは、足立第11中学で、ことし杉並区立向陽中学校で第二ラウンドをやっている。
鈴木  僕もお手伝いさせていただいて、すごくいい授業だと思うんです。
きょうはOS(オペレーティング・システム)ということを議論してみたいと思います。藤原さんは、世界でいちばん受けたい授業ということで、都内各地の中学校で新たな授業実践されてきていますが、藤原さんのように、いい授業案を考える人材は世の中にいくらでもいると思います。しかし、藤原さんのように、それを学校授業という場で実現できる人は、ほとんどいない。藤原さんは非常に特異なケースです。そう意味で、大変、貴重な前例を藤原さんは、作っていただいたわけですが、教育改革の基本は、子どもたちにとって身近にいる人がもっともっと授業づくり・学びづくりに関われるということだと思います。ゆとりがいいとか学力がいいとか、学習指導要領の中身をどうこうしようという、机上の哲学論争がずっと続いていたが、それぞれの子供の状態に応じた学習内容を自分たちで決める。それを可能とする学級・学校をつくっていくOSをどういうふうに変えていったらいいかということを頭に置きながら、今後の議論を進めたいと思うんです。
 そういう中で、金子先生が提唱されたコミュニティ・スクールは、新たな現場主導の教育現場をつくっていくためのOS問題に踏み込んでいったというところがミソだと思うんですが。国民会議のあたりまで戻っていただいて、コミュニティ・スクールの現在に至るまでの経過をおさらいしていただけないでしょうか。
金子  教育改革国民会議を始めるころはちょうど幼稚舎の舎長になったばかりだし、それまでは大学を何とかしないといけないなと。僕はアメリカが長いけれど、アメリカでいうと大学は社会を変えていく原動力で、学生もそのつもりでいるし、先生もそのつもりでいる。世の中もそれを期待している。たとえばネットの世界だけでいってもほとんどのヒットプロダクトは大学からで、モザイクからネットスケープからイーベーからグーグルからヤフーから、スタンフォードに偏っているけれども、まあミシガンがあったりね。
 日本の大学もおかしいと思ったけれど、小学校でいろいろ話を聞いてみると、小中はもっとひどい。さっきの「よのなか」科の話を聞いていると、ある意味では当たり前でしょう。それを藤原さんのエネルギーと周りの鈴木さんたち応援団をもってしてやっと日本で幾つかあるというのが異常な事態だと思う。それはその人その人の能力もありいろんな経歴もあるから、みんなが藤原さんのまねはできないと思う。実際に話術とか経験があるから藤原さんの授業はおもしろいんだろうけれど、このくらいのことは日本じゅうでやってほしい。
 極端にいえば、できないなら先生をかえるぐらいのこと。人権大事、平和も大事だけれども、まずは区役所に行ってみようとか、ゴミをどうしたらと。きょうは水道局に行ってツアーをやりますよ、きょうは盲導犬が来て福祉の大事さを学ぶ。先生に「あれときょうはどうつながっているんですか」と実際に生徒が聞いたら、「いや、私にもわからない」(笑)。そういうのはおかしいなと思うんです。そういうことができないようなところで学力も何もないし、校長とか学校の教員がまず教えたいとか、自分の悩みと考えていることをぶつけてみたいということができない。日本全国で見るとすばらしい授業をやっている先生は多分たくさんいると思うけれど、それぞれ特異なケースで、いろいろ闘いながら、本道とは外れてやってきた。尾道では、すごく特異な数学の授業をやった兵庫県の陰山先生が校長になって、そういう動きは今あるにしても、教育現場は異常な世界だと思うね。
 モチベーションはすごく大事だけれど、三年半やってわかるのは、子どもというのはそもそも好奇心に満ちあふれているわけです。特に小学生はそうで、道を歩いていて、石があれば、蹴っみるのが普通(笑)。いろいろエピソードがあるけれども、幼稚舎から広尾の家に歩いて帰るときに子どもと一緒になることがあって、たまたま二年生ぐらいの女の子三人と一緒になったら、「金子先生、近道があるから一緒に行こう」。幼稚舎から広尾駅は真っすぐだから、どういうふうに近道なのか、まあ行ってみようと思ったら、駐車場をグルッと回って、家の高くなったところをくぐって、草ぼうぼうのところをグルッと回ってくるから完全に遠回りなんだけれど、近道だと思っているわけね。そう思って考えると、子供の好奇心を抑えるほうが難しいぐらいで、それを抑えるほうに回っている学校制度というのは、逆にいうとすごいものだなと。そこに穴をあけるのが難しいというのはすごくおかしいなというところが問題だと思います。もちろん新学習指導要領は四年生で星座を二つとか、そういうのは上げれば切りがないけれども、それ以前の問題として、OSの議論として言えば、何をどうやって教えて、しかも、ちゃんとそれをモニターしていく。何を教えるかではなくて、どう教えるかということを国で大枠を決めて、地域なりしかるべきところでしっかりとやっていく。本当にやっているのと。どういうふうに教えて、どういうふうに先生を評価して、どうやって行政を評価していくかと。何か問題があったらどういう手を打てばいいのかというそのやり方を決めるべきであって、一年生で漢字を幾つ教えろ、五年生の算数では小数点以下一けたしか教えてはいけないみたいな、これはまったく百害あって一利なしだ。そこら辺から変えていかなければいけない。
 そういうことをするには、まずは藤原さんがやっていたようなことが、だれでも、どこでも、いつでも、学校と地域の支持があればできる、やろうと思えばできるところをつくりましょうというので鈴木寛さんと渋谷恭子さんと三人で『コミュニィ・スクール構想』という本を書いたんです。
 「地域に開かれた学校」というのが最初に提案されたのは臨教審の第三次答申で一四〜一五年前。それが二〇〇〇年一月に評議員制度という非常に中途半端な制度になった。学校評議員制度というのは校長が選ぶわけだから、いい校長はいい評議員を選ぶでしょう、悪い校長は選ばないか悪い仲間を選ぶでしょう。しかも何の権限も持っていない。これは悪いというのではなくて、第一歩と考えればいいと思うけれど。一五年ぐらいかかっているけれど、コミュニティ・スクールは教育改革国民会議の第二分科会でいろいろな反対を受けながら、いろいろ説得しながら二〇〇〇年一二月に提案書に載ったのが、公式の文書でコミュニティ・スクールの概念が出た初めてです。その一年半後の四月には文部科学省がモデル校、これは似て非なるものだが、津市の南が岡、足立区の五反野もあるし、やってみると実はいろいろおもしろいことが出てくる。校長の公募をやってみたらギクシャクしたりしていまだに試行錯誤。文部科学省の担当の人は非常に熱心にやっているし、県とか教育委員会もすごく熱心にやって、学校も地域の人も熱心にやっている。ちょっとずれているところもあれば、まだまだのところもあるけれども、それなりにこれぞと思っていろんなことをやって、七カ所九校、それぞれすごく地域性が出ている。これはすごくおもしろいなということが出てきた。
 そういう中でめざすところは、何年で何を教えるではなくて、どういうふうに教えるか、どういう先生がどういうモチベーションを持っているか。まず先生がモチベーション、校長がこんな学校にしてやろうと。保護者も土日にはちょっと時間を使おうよと。それは別にコミュニティ・スクールでなくてもどこでもそうあってほしいけれど、そういう取っかかりをつくろう、それを制度的にそれを保障しようというのがコミュニティ・スクールです。コミュニティ・スクールができるかどうかは大事だけれども、とりあえずはごく普通のそこら辺にいる先生たち、保護者たちでこれはおかしいなと思う人たちがすぐにできるような、そういう枠組みをつくりたいなというのがコミュニティ・スクールです。
 第二、第三の藤原さんはいくらでもいると思うんです。基本的には身近なところから、一番関心を持つところから、でも射程は長く、最後は人権も世界平和もいると思うけれど、そういうものをやろうと思う先生はたくさんいると思う。もしいないならかえちゃえばいい。その辺が大事じゃないかと思います。
鈴木  我々も、この五、六年、教育現場でゲリラ的改革の取り組みをいろんなやってきまして、そうしたことも影響して、様々な萌芽は全国各地でかなり生まれてきたと思うんです。これから大事なのはそれが単なるゲリラで終わるか、それとも、それらが連動して、自律・分散・協調型の共鳴現象が起こって世の中を変えていけるかどうかだと思います。今国会の話題の一つに教育基本法の論争がありますが、これはまさに不毛論争の典型です。頑なに「改正するな」というのも不毛だし、やみくもに「国を愛する心」とか「家庭」とかいう文字を入れたら世の中が変わるというのも不毛です。改正派は、基本法を改正して、具体的に何につなげていきたいのかということまで議論して欲しい。基本法だけ改正するということであれば、だったらいじめ防止法をつくったらいじめがなくなるのか、ということになります。そんなに教育の現場は甘くないにもかかわらず、そのことにものすごいエネルギーが賛成、反対双方ともにつぎ込まれていること自体が、不毛だと思っているんです。
 そうしたある意味での哲学論争とか机上の空論に対しては、我々は現場から、とにかく何か新しい試みをまずはやってみる、試行錯誤を不断に謙虚に続けていくこと・広げていくことが大事だと思っています。
金子  我々立場は三人三様でうまく役割分担できていますよね。藤原さんは徹底的に現場、私は現場も三年半やったけど、今は、有識者としていろんな現場を回りながら、いろんな知恵を集め・世の中に広げ、政府の委員としても、提案し続けている。鈴木寛さんは法律・予算をつくる人。この3人が、連携してやっていると、いろんなことがわりとうまくいく。具体的に現場が動いていくし、そのことに制度改正も対応しているから、現場が本格的に変わる。そうなると、実際、子どもたちも活性化するし、保護者からも「おっ、いいじゃないの」ということで支持を得られる。そういう意味で、いろんないい授業をつくりあげ・実践してきた藤原さんが、いよいよ校長に転身し、新たな学校づくりに挑戦していくのはすごくタイムリーじゃないかと思います。
鈴木  これからも三位一体でがんばっていきましょう。
藤原  僕の立場は、文字どおり現場から変えるということで、今の制度の枠組みの中で、今の法律で、全然構わない。「よのなか」科を選択社会の時間に設定して、あるいは選択数学のときに使える「よのなか数学」、選択国語のときに使える「よのなか国語」も、全部に教科書が出版されます。そこに教員だけではなくてゲスト講師でタッグを組む社会人が地域にいくらでもいる。その人たちが入ってきて一緒に教えること自体、今の制度の中でできることです。先ほど金子先生がそんなことは一〇年前に起こっていてほしいという、本当にそのとおりだ。僕の立場としてはまず杉並区の中学の一校、ここが変わっていくと、杉並区は中学校が二三校ありますが、「なんでうちでやらないの」というのは先生方の中にも起こるでしょうし、何よりお母さんたちが黙ってはいないだろう。
 この一年でよくわかったのは、東京都教育委員会の中にも非常によく考えている人がいるんです。最初杉並区からの要望だったから反対をしているのかと思ったけれど、そうじゃなくて、制度的な枠組みをつくらないとできないということでだいぶ苦労はされたみたいですが、実際変えたいと思っている人はすごくいて、「よのなか」科についても非常に理解のある方が教育委員会の事務局の、しかも相当力を持った人にいるんです。彼らとしては都立高校がこれだけ凋落したのをとにかく復活させないと、中学、小学校は話にならないだろうと。その意識がものすごく強い。だから高校の世界では民間人が二人既に入っていますね。あとお二人がこの四月、来年とか。お一人は私の母校の都立青山高校にブラジル三菱商事の社長だった人、僕は非常に期待しているし、母校だから応援しようと思っています。そういう民間人を入れ、予算もつける。かなり真剣にやろうとしている。それがだいぶマスコミにも報道されて、お母さんたちも都立校が変わるという感覚は持ってきているみたいです。そういう意味では法律・制度はこれ以上いじらないで、また去年の四月に施行された新指導要領についても、細かいことをいえばエジプトがなぜ社会の教科書からなくなったのかとかいっぱい言えるけれど、できることはいっぱいあるので、それを議論したほうが有効だと思うんです。僕の立場はそっちです。法律とか制度については発言してもしようがないかなと。
金子  高校が変わってきているというのは、大学に近いということと、都道府県の教育委員会の直轄だからかなりできるということだね。僕も最近いろんなところで市町村レベルの教育委員会の人に会ったりすると、普通、教育委員会の事務局ってめちゃめちゃ言われているけれども、必ずしもそういうことはない。仕事熱心だから、可能性が示されればかなりいろいろとできる。
 校長公募について一言言いたいんだけど、民間人ができるようになった。僕は民間校長がいいとは全然思っていなくて、民間校長もいいのもいるし、よくないのもいる。たぶんよくないのが多いでしょう。会社をやめて校長になりたいという人が必ずしもいい人とは限らない。民間校長イコールいい、は全然おかしいと思うけれど、でも結構おもしろいことをやっている人もいる。問題は、民間校長を入れるかどうかではなくて、双方は選べるかどうかだと思います。今はほとんどのケースは都道府県が採ってきてパラシュートでポンと入れる。藤原さんのケースは違うと思うけれど。選ばれた校長も「なんでここに来るの」という話になるし、学校も「なんでこんな人が来るの」。にもかかわらずうまくいっているところも幾つかあると思うけれども、大変だと思います。
 注目すべきは津市の南が岡小学校です。コミュニティ・スクールのモデル校で、モデル校は現行制度の中でやるから、県の教育委員会が完全に理解してやっているのだが、今度校長を公募して、津市が選んだ。県は知らないよ、自分たちで選んでくださいと。市の教育委員会と有識者と民間人が三人入った。そのうちのお一人はPTA、一人はコミュニティ・スクールの協議会の会長が入って、面接をして人選をした。もちろん決定権は県にあるから、選んだ方を県に上申して追認された。会社役員でアメリカに留学の経験のある五〇代の人に決まった。たまたま民間人だけれども、住民が入って選んだところが大事だ。たぶんこれは日本で初めてじゃないかと思います。
 選んだ人の話は、最初はとんでもないことになったなと。今までは文句さえ言えばよかったのに、自分が決めた場合は「あなたが選んだんでしょ」と言われる。最初ビビッたらしいけれど、やってみるとこれはすごいことだなというので、今度は教員を選ぶときになんで我々が入れないのということで、教育委員会はどうしようかと悩んでいる。前向き検討するらしい。
 それに対してほかのコミュニティ・スクールのモデル校は、たくさんのところで民間校長をやっていますけれども、普通のパラシュート式です。和歌山県の光洋中学は、まだ発表になっていないけれど、これは市が選んだんじゃないけれどもかなり密接にやっていて、今までの日本式でお話し合いでやっている。津がそういう意味では一番すっきりしている。地元にかなりゆかりのある人で、発表するとみんなが「おー」というような人になったと聞いています。これはいいケースです。
逆に、足立区の五反野小学校は高岡正見さんという大変すばらしい現職校長がいて、自分で立候補することはかなり迷ったらしいけれど、今の制度の中ではなかなか難しい。別の人になるらしい。ぜひ教員のほうにそれを広げてくれということをコミュニティ・スクールのモデル校に言っています。コミュニティ・スクールのモデル校は年末に全員、土堂以外は全部慶應大学に集まってインフォーマルなディスカッションをしたんです。その後で和歌山県は教員に手を挙げさせることにした。県が上から勝手にやるといろいろ大変で、いい先生は限られているから、こっちのいい先生を引き抜いてという話になる。「手を挙げればいいでしょ」ということで、こういう教育をしたいという新しい校長も来ると。そこは実は教頭に教育委員会の人が来ているからやりやすいのだけれども、手が挙がったらその人を採用しよう。なるべくなら協議会の人に面接をしてもらう。ただ、教育委員会として一度手が挙がった人を住民が面接してだめというとこれまたちょっと大変だから、すぐに変えてくれというほうでもないけれども。要するに、校長公募ということだけをとってもいろんなことが今起こっている。これまでは教育委員会が経済界とかに頼んで引っ張ってきた。コミュニティ・スクール七校だけを見ても校長公募をやらないというところもある。僕は、校長公募がコミュニティ・スクールのポイントでは全然ない、したければしてくださいと。
 それより教員の公募のほうが大事ですよ。津は非常にすっきりした形でやっている。三重県は高校に関しては内部公募制を何年も前からやっている。数校だけれど、教頭か現職校長に手を挙げさせる。困難校に手を挙げた先生は、地元の人がサポートする。よく来てくれたと。教員も、自分から来たよというような経験が二年ぐらいあるので、たぶんこれになったと思う。津の南が岡小学校のそういう方式が一つある。
 それから和歌山の光洋中学校で教員に手を挙げてもらうというのがもし実現すれば、それが広まる。それは別にコミュニティ・スクールのモデル校でなくても、県の教員委員会がオーケーだと言えばどこでもでき得る。そういう試行錯誤はこの一、二年で始まりつつある。
 学習指導要領に関しては、この間文部科学省の担当者に聞いたら、研究開発特区を申請すれば、とんでもないことをやらない限りは基本的には拒否しませんと。実は別に取る必要もなくて、最低限度と言っているからいいけれども、特殊なことをやらないでも三年生、四年生関係なく教えようとか、やりたければ特区を申請すれば「よのなか」科みたいなことはもっともっと大手を振ってできるかもしれない。現行制度でもずいぶんできるし、現行制度ではちょっとエネルギーがいるなという場合にはモデル校とかそういうところを使ってやる。今までは打瀬小学校で校長はこうしたとか、広島はこうしたと取り上げられるぐらいだけれど、そうでないことがやっと起こりつつある。文部科学省の中でも新たな動きを容認しつつある。特区でも金融特区にしろ農業にしろ医療にしろほとんど全滅ですが、教育は、それなりにいろんなことが可能になっている。いろんなことが起こりつつあるので、それをテイク・アドバンテージして、やる気のある人、ないし教育委員会の人に提案してみれば、それなりに実現するようにはなってきた。
藤原  都道府県もそうですが、その下の地区の教育委員会にはちゃんと考えている人が必ずいる。この間「よのなか」科の模擬授業をやってほしいというので、福島、群馬、静岡などに行きました。お母さんたちが主催したものでも教育長とか指導室長などが出てくるようになっていますし、奇異な顔をして帰っていくかというとそうでもない。教育委員会内部の人たちもちゃんと風を感じていると思うんです。変化するなと。そういう市区町村の教育委員会が学校と地域の人たちと組んで、そこがうまくシステムとして機能するようになるといいなと思って。改革って最初は奇人変人が始めるわけですから(笑)。それがシステムにこの五年ぐらいでなればね。
 その際に一つだけ制度のことで大議論になるのは、国費県費負担の教職員給与制度です。たとえば東京都でも本当に区が引き受けてやると言うならやらせてもいいというような意見もあるようですが、教職員の金を持てと言われたら、ほとんどの区がつぶれる。それをどうするかは校長の人事権とか公募の問題に全部絡んでくる。それは東京都が一手にやって、権力を行使したいということだけでもないようだ。
金子  ええ、そんなことはないでしょう。権力を行使しようと思っている人はいるかもしれないけれども。私も、県費負担が最大の問題であって、学習指導要領はたいしたことはないと思う。実態上、私学では、今でも学習指導要領を越えてやっているわけだから。いろいろ監査が入るわけではないし、たぶん公立も。変なことを言えば学習指導要領というのは、それをやっているかどうか確かめようがない。「やりません」と言ったら怒られるから、やりますよという従順さを示すだけです。国立研究所の調査では三分の一は学級崩壊しているのだから、そこでは、指導要領は全部は履修されていないことになる。本当かどうか知らないけれども。
 教員免許の問題も、今や、ボトルネックではない。慶應大学だと教職課程はあるけど小学校免許は出せない。実際に幼稚舎の舎長だったときに、教員免許がない人を非常勤で採用した。通信教育を受けてもらって免許をとって、次の年から一年生担任をやってもらった。この方は高校卒業時にお父さんが亡くなったか病気になって家業を継いで、大学に行かないで一〇年間で立て直して、理科大に行って、修士まで行って数学専攻で、もう四〇歳近い。高校しか免許を持っていなかった。一年間勉強して免許をとって、次の年に一年生の担任になってもらった。いまでは一番指導がピシッとしている(笑)。そういう教員もいますから、要はやりようです。学習指導要領と教員免許と、教科書も実はちゃんと働きかければ市町村レベルで裁定できる。
藤原  犬山市は数学の教科書を市が独自でつくっている。
金子  なるほどね。結局、最大の政策的課題は給与の国費・県費負担と、地方公務員にするかどうか。これは大議論だと思うし、民主党内でも、議論が分かれるところかもしれないけれども、大学は法人化して、公務員を外れた。小中学、高校も地方公務員にしたままでいいのかという議論は、ロングレンジというと、制度的には一番の課題です。
鈴木  藤原さん、市立学校教員の国費・県費負担の問題はどういう私見を持っていられますか。
藤原  これはおれ、本当にわからない。
金子  文部科学省という中央官庁が一人ひとりの教員の給与を負担するというのは原則論からすれば異常だと僕は思う。しかし、一括交付税という形でお金を地方に出して、それを、ちゃんといい人を教員として雇うことに充当するかどうか心配だというのもわかる。道路に行くかもしれないし、とんでもない御殿をつくるかもしれない。こうした根幹にかかわる制度まで、一気にを変えて試行錯誤していいとは僕は思わない。もうちょっと慎重になったほうがいいと思うけれど、でも基本的には一人ひとりの先生の給与を国が半分でも持っているというのは中央官庁としてはおかしいと思う。そんなことをやるのが中央官庁ではない。また、どう教えるかとか教育予算のなか使い道をガイドラインをつくるとか、オフステッド(OFSTED 教育水準監査局)じゃないけれど、そこまでコントロールしなければいけないとのか?という疑問もある。逆に現場とか市町村レベルの教育委員会の事務局にはそれなりにちゃんと考えている人がいると思うので、そっちに任せていく方向でいいのでは。
 そういう意味でコミュニティ・スクールの最大のポイントは、学校及び地域の協議会が人事権を持つというのを、とりあえずトライアルでやってみましょうというところだ。
藤原  お金を分権で地方に全部おろしたときに、はたして教育にきちっと回るのかという話ですよね。政治の世界で昔からよく言われているように、教育は票にならない、福祉とか道路とか言ったほうがいいみたいな話の中で、お母さんたちももっと地元の小中に絡んでいって、授業の中身まで見たり、先生がこうだああだとうわさで文句を言うのではなくて、自分が評議員になったつもりで、そういうところまで意識が盛り上がってこないと。いわば教育が票になるように市民意識が上がっていかないと、危険かもしれませんね。もちろん、そこまで市民意識は変わって欲しいけど。
金子  僕は、変わってきつつあると思う。票になるかどうかはわからないけれども、知事がかなり教育のことを言うようになってきた。市町村でも、首長が特区で名を上げようと、ちょっと変わったことをやろうみたい気運がある。
藤原  首長がキーですよね。
金子  それは文部科学省とか自民党の文教委員会がというのではなくて、もうちょっと身近な、市長さんなどが「よし、やってやろう」とか。京都の御所南小学校というモデル校の一つに行ったんだけど、京都市の教育長が経営マインドがある人で、今度中学校を新設した。それは御所南の地域協議会の人も含んで設計をして、四月にできるのかな。老人福祉施設とかオフィスを併設していて、「これ、おもしろいんですよ、見に来てください」みたいな営業をするのが得意なの。たまたま京都は市長が教育畑の人ですごくやりやすいと。企業タイプというか、そういう人たちが昔からいるかもしれないし、出てきている。本当はそういうところに実権をおろしていくのがいいけれども、県費負担を来年からどうこうという話ではないと思います。
 藤原さんの立場としては現行制度なんだけれども、手足を縛られて精神的に頑張るというだけではなくて、必要なお金はつけるとか、評価を正式に制度化していくとかいうことは政策論としても大事。もうちょっと簡単なことでいえば、コミュニティ・ファンドみたいなのをつくって、「よのなか」科をやりたいところがあったら、呼んでくるときに交通費ぐらい出そうと。そのときにちょっとしたファンドを、みんな少しずつ出そうよと、年間予算二〇万ぐらい出るようにして、先生個人に渡すぐらいにすることもできる。御所南とか和歌山県の光洋中学でボランティアが何十人も入っている。そうすると今度は京都は学科を教えさせてくれという意見がいま出始めて、どうしようかと。和歌山県の新宮市のすごく田舎らしいけど、ほかの県から、たぶん三重県だと思うけれども、外国人がボランティアで教えたいというのが押し寄せていて、採点をどうするかという話になったり。文化とか国際理解ではなくて、学科を教えたいといったときに責任体制をどうするのという話に今進みつつある。これも大変難しい問題だと思います。ただ地元の人が来て、商社マンだから英語ができますよというのじゃないでしょう。でも普通の先生よりはもしかしたらいいかもしれない。その責任体制。今までは教員も責任体制なく、教育委員会も責任体制なくやってきたけれども、いろんなケースに直面して、やっとそのことに気がついた。責任体制、それに応じた、予算など、検討すべき課題はいくつもある。コミュニティ・スクールのモデル校だけではないけれども、そういうことがこの一、二年で始まりつつあるのかなと思う。
藤原  犬山市長もディスカッションのときに言っていましたけど、もう教育一本で選挙戦を闘うといっていた。珍しいなと思った。
金子  鈴木さんも教育で選挙に勝ったんだからね。
藤原  そうですね。でも、それまでの常識からしたら珍しい。そういうことがどんどん起こっていけばいいと思いますね。犬山市は教育長が相当な人物らしい。教科書まで変えちゃうというのだから、たいしたものだ。それができるということですよね。それから志木市長。僕は異論もあるけれども、あそこまで激しいことを、中学で理科系と文化系と分けて、一年、二年、三年で変われるみたいな。でも首長がやると言って、教育長ほかがやろうとすれば、やれちゃうわけです。
金子  どうして教育が今注目されているかというと、日本の教育は紙の上ではすごく分権が進んでいるわけです。さっきの国県費負担以外では。国県費負担と学習指導要領と教科書。教科書は検定は文部科学省だけれど、選択は市町村とか。教員免許は別にどうということないから、紙の上では外国の人が国際比較をしたら日本はかなり分権と思うのに、さまざまな通達とか自己規制とか。文部科学省に言わせれば自己規制だ。下に言わせれば「いつもいろいろ言われている」暗黙の指導ということだ。品川区の学校選択がいい例で、何十年前から局長通達でやれ、やれ、弾力化しろと言っていたのにどこもやっていなかったのに、やってみたら玉手箱。あの程度のことはどこでもできるというので、足立区はうちはブロック制もありませんよ。全区選択制ですよ!みたいな、そういう競争に今なっている。
鈴木  そういう意味での、現場がおびえなければならない「お化け」はいなくなったんですよね。
金子  やろうと思えばできることはわかったけれども、まだかなりエネルギーがいる。ただ、今はやろうと思えば、市長とか教育長とかそういうマインドのある人がいれば、人事に関して県レベルで。ただ県レベルは知事選があったり、知事がオーケーと言い出せばというところまでは来たんじゃないかなと。
藤原  実際東京都がある程度人事を見ているのでいいこともあって、問題教員の対応を区だけでやっていると生かす場がない。まとめて研修したりしているみたいですが、そういういい面もある。こうしたことを、区だけでやっていると非常に苦しいところがあるから難しい。
金子  ある区でどうしようもない人が、ほかの区に行って教えていいかという問題もある。適性がある。
藤原  今までは本当にそういうことだったみたいですね。出しちゃえとか。
金子  ロシアン・ルーレットみたい。去年の総合規制改革会議で、案だけ出て、生煮えだったので提案しなかったけれども、今、市町村レベルで校長が意見を具申できる。それが県までは行けるというのが一昨年の教育改革国民会議の次の国会で一応法律だけできた。有力な人とか校長の意見は通るし、そうでない人は通らないみたいな実情があるみたいだけれど、この間提案したのは教員がホワイトリストをつくってくれと。それでいろいろコンタクトする。教員もいろいろ見に行ったり。それでどこにも選ばれなかった人は教えさせない。それは一〇〇%難しいから、二倍ぐらいにしておく。その人は研修を受けたりする。二年か三年、どこの学校からも望まれない人がいたら、その人はやめてもらうというのはどうかと思ったけれど。校長が問題なので、校長が自分の知り合いとかおざなりなことをやったのではまずいからというので時期尚早だけれど、基本的には県が見るならそのくらいのことはしてほしい。
 もしそうじゃないとしたら広域組合みたいなのをつくって、どうしようもない人はもちろん外すが、適性があるから小さいところがいいのもあるし、受験指導がいいのもあるし、いろいろあるから一校で全部は難しいので、東京だったら西部地区みたいな、区でもいい、二〇とか三〇あって、その中で本人も選べる。人事異動は大事だと思うので、そのぐらいのレベルは。そういうのはもうちょっとボランタリーに工夫すればいいと思う。たしかに学校で一生終わるのは難しいと思いますが、もし今のように県がコントロールするのだったらそういう方式をしっかりやってもらいたいとは思います。
鈴木  先ほど民間校長だったらいいというものではないと。そこは非常に重要なポイントで、今の不毛な議論の一つに、「民間にしたらいい」「民間は絶対だめだ」とか、「株式会社を入れろ」「入れるな」と。入れればいいという話でもないし、絶対だめという話でもない。大事なことは地域密着とか現場で教える人と教えられる人と、あるいは保護者とかかわっている直接の人がちゃんと自分で決める、そういう現場主権型のことがどれだけできるか。この二年間僕がやってきたことは、いかにそういう現場のことを邪魔しないか、あるいは邪魔している指導や通達があればそれをやめさせる。依然としてひっかかっている法律は実態上すり抜けられるという話と、表でちゃんとできるという話はまた気分として違ってきます。正々堂々とやれるようにするということは、かなり進んできたかなとは思っているんです。いずれにしても本当に現場の藤原さんと、全国を行脚しながらそういう現場をサポートしている金子先生と、お二方からいつもリアリティのある現場の様子を聞かせていただいている。そういう動きに邪魔しているものを取り除こう。あるいはそういう動きがさらに進むためにはどうしたらいいかということをこれからもやっていきたいと思っているんです。
 さて、残った時間で意見を伺いたいんですが、大学は相当進みましたか。
金子  大学は私立大学は真っ青になるくらい進んでいる。まさに鈴木さんが担当されましたが、大変重要な法律が前回の臨時国会で通った。特に、大学評価制度です。私は、大学設置審議会の専門委員をしているんですが、毎年、学部設置とか大学設置とか山のように来る。申請書だけで決めるのは大変不安だし、不可能です。たとえば教授全員が七〇歳以上とか。七〇歳以上でも元気な人もいるが、大丈夫かなと思ったり。物性でドクターを取った人がウエブデザインを教える。国立大学の博士号を取っているから紙の上ではオーケーとせざるを得ない。それから地方の大学なのにほとんどの人が住所は東京だったりする。本当に行ってるの?みたいな。事前審査というのは限界があるわけです。いろいろ意見をつけたりするけれども、通ればおしまい。これは非常におかしい。実際に何が起こっているか。そのことを一昨年の総合規制改革会議で設置のところはなるべく準則に近い形で、、そのかわり事後にアクレディテーション(適格認定)がある。これは我々も難しいからと思っていましたが、ほとんどそのまま通って、中教審もすっと通って法案化された。まず評価をする機関を国立じゃない、民間がやってくれというところはすごく思い切ったなと。数は複数。しかも、これは規制改革と逆に見えるけれども、それは義務化してちゃんと公表してくれ、選んでくれということで総合規制改革会議で出した提案がそのまま文部科学省の法案になって出てきた。そろそろそういう時期だということで、文部省も賛成したんでしょう。鈴木さんにも、相当ががんばってもらったが、この点は、文部行政を大変評価をしている。
 僕は昔から関心があるのだが、たとえば有機認証はそういう仕組みがある。僕はそれが頭にあった。有機はJAS法が通って、農水省とか県が認定をつくって、認定されたところが認証していく。僕のつき合いがあるアクシスというところは完全にNPOだけれど、JAS法の場合には認証機関がラベルまで貼れるのでかなり力を持っている。今度は介護保険になったのでグループホームは今は二〇〇〇、三〇〇〇あるけれども、それは全部去年の四月から外部評価が義務化された。措置が外れると評価をしないといけないという流れはもう定着している。介護でできていて、有機でできていて、国は基準をつくって法律を通して、やるところは自分ではなくて、民間も含めたところがやる。有機に関しては実は認定されたところがラベルを貼ったら、ホウレン草が中国から来たところは実はまずかったという問題も起こっているけれども、でもそれが問題になるだけいいと思う。そういう方式、国は仕組みをつくる。それはグローバル・スタンダードでつくって、実際やるところは、自分でやるのではなくて民間、NPOも含めて複数ある。情報を公開して、何かあったらそこでみんなが選ぶというのは、大学レベルでやっていい。小中はちょっと時期尚早、ないしおかしいと思う。そういう前提があったけれども、文部行政でそれができたというのは英断というか。もともと高等教育の人はかなり柔軟で、初等中等教育の人が頑迷というか、使命感を持っているというか。逆にいうと大学がそれに耐えられるかどうか。本当に評価されるわけだから、慶應でもどうしようみたいな、そういうところに来ている。
 株式会社の議論は、鈴木さんも国会で質問したとおり、それで一応クオリティー・コントロールができている。設置審でやって後は知らんよ、東京にいてもいいよではなくて、三年後に、東京に住所があるけれど一週間に実際に何日来ているの、宿題出しているの、休講はと見る。クオリティー・コントロールさえできていれば、そういう仕組みがあれば、株式会社だろうが、学校法人だろうが、ちゃんとやっていれば。必ずしも株式会社がいいと思っていないけれど、株式会社だめという理由にはならないということで、今度特区で一応認めることになるという話を聞いている。そこも文部科学省としてはかなり思い切った。今までは絶対だめだったから。自分で評価制度をつくってと法律まで通したら、次は専門大学院ぐらいは、評価制度を信じましょうと。これは買い手市場になったんだよということで進む。大学としてはある意味ではつらい。認可を受けてある程度ブランドがあれば安心、名前だけ借りればいいということではなくなってきたというところは我々からすると大変だなと思うけれど、大学に関してはかなりもう変わってきているんじゃないですか。
鈴木  僕も民主党の大学改革プロジェクトチームの事務局長なんですが、かなり達成感はある。特に、評価制度の充実と機関の複数化は、本会議でも、強く主張した。大学改革が、今回、進展するにあたっては、政策形成のプロセスを少し変更することに成功した。普通は中教審があって、法律が出てきて初めて国会審議が始まるんだけれども、今回はそれがわかっていたので、中教審の答申が出る8ヶ月前に国会で大学問題で特別審議の時間をつくった。それと文部科学省の担当課と、検討の進み具体について、頻繁に意見交換するというこを地道にやることも大事だったと思う。いよいよ、国立大学改革が山場を迎えますから、こちらも、がんばります。
金子  中教審を無視したわけね(笑)。
鈴木  ある意味そうですね。というか、あるべき姿に少し近づけただけですが。今までは、国会というのは一番最後の門番だったけれど、そうじゃなくて一番最初と一番後ろの、入り口と出口を両方押さえることにして、とにかく国会でまず議論をしてしまって、方向性をかなり強く出しながら、建設的な提案もどんどん出して、大きな方向感のもとで、中教審にブレイクダウンしていただく。そういう意味での審議会と文部科学省と国会の政策決定についての新しい手法も導入できたと思っています。次はいよいよ初等中等教育なんで、また新しい手法をもっと磨いていきたいという思いを持っています。
藤原  まさに今出た言葉でクオリティー・コントロール、僕がもし校長になったときに何をやるかといえば、授業のクオリティー・コントロールが一番大事だと思っているんです。この感覚は、ある意味では民間からの感覚なのかなと。教育関係の専門家、ジャーナリズムからのインタビューで「何をされるんですか」。「授業のクオリティー・コントロールだ」と言うと、非常に驚かれる。「それは校長の仕事じゃないんじゃないか」と言うんです。じゃあ何なのかと聞くと、先生のマネージメントとかと。教育界では、特に小中で「マネージメント」という言葉がはやっているんです。マネージメントが必要だ、企業の人からそういうものを学ばねば、みたいな。人事権がなくて予算権がなくてマネージメントするとすれば、コミュニケーション以外にないわけです。コミュニケーションを通じた授業のクオリティーアップ以外にないじゃないかと思うけれど、それは校長の仕事じゃないと言う人が結構多くて、びっくりした。
 そのことに絡むが、二つ目に、教育問題を幼児教育と小中、高校と大学で全部一緒だと、非常にややこしいわけです。最近中高一貫校をつくるというのがすごく話題になっている。まず間違いなく小中の連携を深めたほうがいいと僕は思っています。僕が中学をやるとしたら、絶対小学校との連携を深めて、中学の先生が小学校にも教えに行っていいんじゃないか。むしろ高校と大学がもっとくっついて、大学の先生が高校にどんどん出てくると、どこの大学を選ぶかということが高校生はもっとはっきりするようになると思うんです。私立なんか絶対できるわけです。公立でも。
金子  大学の先生が高校に行くとその大学に来なくなっちゃう(笑)。「こんなやつのところに行かない、行かない」って。
鈴木  でも、僕は灘校に行って教えたら、慶應の受験生がふえましたよ。
藤原  だめな見本が行ったらみんな海外に出ちゃえばいいんですよ、だめだ、こりゃ、って。僕の息子はまだ中一だけれど、「日本の大学には入れないよ。自分で探してこいよ」と言って暗示をかけているんです。あと五年とか一〇年するとハーバードでもスタンフォードでもMITでも、北京とか上海とかシンガポールとか東京を越してつくっちゃうんじゃないかと思う。たとえば息子の世代からすれば、中国人とかインド人とガンガン、ネットワークをつくったほうがいいから、僕だったらそっちを選ぶ。東京とか半端な大学、東大だって、テストに受かるか受からないかは別にして。そういう意味では大学は先生がそこまでやられればひとりでに変わっていくだろうと思う。先ほど言いました小中の連携、それから高大が、公立校でも、たとえば都立高校が都立大とか東大とか何でもいいけれども、もっと連携したらおもしろいのじゃないかと思います。
鈴木  教育基本法改正議論も、六・三・三・四をたとえば九・七にするとか、今みたいな議論がもう少し議論されれば。
金子  六・三・三で全国それしかないというのはほとんど唯一だ。もうちょっといろいろな道があるでしょう。
 学校評価について言うと大阪府が大変おもしろくてね。去年の四月から、学校の情報開示は義務。自己診断、第三者評価は努力義務ということになった。実際は高校以外はほとんどやっていない。その中で大阪府は、特に大阪府が進んでいるというのではないけれど、今年度から全小中高の学校評価を金子研究室がやったんです。それの全数調査をうちの学生がやりました。実際すごくおもしろかったのは、たとえば「学校は地元のニーズにこたえているか」という項目で、教員は六五%イエスで、保護者は四五%だ。だから学校がだめだというのではなくて、先生はそれを見ると愕然とする。おまえだめだとか、この学校よりあの学校がいいというんじゃなくて、学校としては授業参観を設けるけれども、ろくに来てくれなくて、それでいい、悪いと言われても困るというところもあって、コミュニケーションのためのツールとしてこれはぜひやったほうがいい。大変だけれども。
 たとえば四〇%の学校では教員が反対した。だけど、やってみたら必要でないと思うのは二二%に下がった。たいしたことないじゃないのという話があったり、それから教員用、校長用、保護者用、生徒用、四種類、大阪府の教育委員会が用意したけれども、ある学校では教員用はどうせ返ってこないと思ってやらなかったとか、やっても拒否されたとか。だから悪い、のじゃない。そこは難しい地区だったり、いろんな条件が違うから、イギリスみたいに並べるというのではなくて、自分の置かれている位置を見て、書いたものはちゃんと見る。現行制度はそのぐらいしか。インタビューを読むとすごく泣けてくる。校長先生の中にはそういうことを一生懸命やっていて、保護者からいろいろ厳しいことを言われたけれども、無視されていないということだけでうれしい、と言っていたりする。大阪府の教育委員会はそういう意味で偉いなと思うのは、それを全国に先駆けてとにかくやってみようと。ただ、日和っていて実態を調査できないので、我々がやったのだが、見てみるとこれだけでもずいぶんコミュニケーションが活発になるなと思う。
藤原  杉並区は僕も絡んでいて、アンケート項目をつくっていて、校長会で最後精査したんです。小学校の校長会、中学校の校長会集まって。これはやると。だいぶ問題になりましたけれども、最初から発表を前提にした。発表しなければ意味がないということで、それを了解した上でいまずっと全校で回っていて、来年すべてが発表。
金子  それじゃあ一緒にやりましょうよ。
藤原  杉並区は中心は教育研究所というところの担当官がいて、愛甲先生という校長会の会長をやっていた人です。それが実現したから、ある意味ではびっくりだな。これも先生用、生徒用、保護者と評議員という、この三種類です。僕が最初に行ったときにこれの中身を相談されたので、授業の評価を入れたんです。これは喧喧諤諤です。
金子  幼稚舎もやったけれども、一目瞭然ね、人気がない先生ははっきりわかる。子どもも五,六年になると「説明が多過ぎる」とか「何言っているかわからない」とか、ちゃんと書いてくる。単にこいつはだめだというのではなくて。
藤原  それは校長と地域のコミュニケーションの道具にはなりますね。今までは、それなくてやっていた。
金子  たとえば校長が保護者に「文句を言われているけれど、学校のことご存じですか。我々いつでも来ていただけるのですから、まず来てくださいよ。それからご批判いただければ」みたいなことを言うときに、そういうのがあるとないでは全然違う。
藤原  うちの息子は一年生で、保護者用が配られてきた。うちのかみさんがそれをつけるについては、いかに自分が文句は言っていたけれど実態を知らないか。それであらためて息子にインタビューを始めた。それだけでもいいことだと思う。
金子  そこで、もうコミュニケーションができる。
藤原  そうすると見に行くと、同じ見に行ってもちょっと違う見方をする。
金子  ただ項目が多過ぎたり、全国でいろいろやっていて、国立研究所の方が一人、全国を回ってやっている。いろんな教育学の人がああだこうだ言っている。僕は共通部分と地域特定部分を分けて、共通は授業評価とか、それは同じ項目で全部聞く。できたら全体のたとえば三分の一ぐらい、同じ地域で同じ項目にする。そして毎年変えないようにする。そして地域特別なところは自分で設定をする。そういうフォーマットはいるし、みんなで考えて。
藤原  実際進んだ校長先生は自分でつくってずっとやっていらっしゃる方はいるんです。杉並にもいます。
鈴木  足立区の五反野小学校も一生懸命授業評価やってますよね。
 それでは、この辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。

 2003年1月吉日  


←BACK ↑TOP