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 現代日本の問題点 《in 東京大学》


■日本の問題点〜司法と民主政治教育
 駒場の時計台の下、毎日、合唱の練習をしていましたから、駒場に来るたびに、いつも懐かしく思います。
 今日いただいたテーマは「現代日本政治の問題点」というテーマです。大変よいテーマをいただいてありがとうございます。
 さっそく、テーマに入りますが「現代日本の問題点」は大きく二つあると思います。一つは日本の政治固有の問題点。2つ目は、日本のみならず、どこの国でも抱えている、近代国家システムにまつわる問題点です。この二つの観点からお話をしたいとおもいます。
 一つ目の日本政治の問題点は何かと言うと、突き詰めていうと司法と民主政治教育が弱いところだとおもいます。まず、司法。ここが解決されれば今の日本が抱えている問題の多くは解決されると思います。例えば、一票の格差の問題。この問題が解決されないから道路公団にしても政官癒着構造にしても、改革が進まないんだと思います。私も通産省時代、霞ヶ関の中から体制内改革をしようと頑張ってきた訳です。しかし、いつも最後のところで煮え湯を飲まされて来た。その原因は道路族という自民党利権集団です。「何でこんなに道路族が多いんだろう。」「なんでこんなに強いんだろう。」と言うことを考えてみると実は答えは簡単で要するに地方から選出されてくる議員なわけですね。僕は東京選挙区の参議院の候補者として選挙に出て2001年の7月29日の選挙で75万9110票で当選しました。同じ選挙で、山陰のある県だと13万票ぐらいで当選してしまうところもあるわけですね。一票の格差にして約5倍です。テロ特別措置法や有事法制などの安全保障関連法制は、昨今、国会の重大な課題の一つになっていますが、僕もこの法案に対して一票投じたわけですが、76万人に選ばれた私も一票、13万人に選ばれた議員も同じ一票です。このことは、国民の生命の重さに格差があることになりますから、この点は、どう考えてもおかしい。少なくとも下院においては、一票の格差を実現すべきです。2倍以下であればOKだという問題ではなく、本来は、完全に1対1にすべきなのです。参議院では、1対5とかいう状態がずっと放置されている訳です。そのことによって政官業の癒着が温存をされているのです。
一票の格差問題は、本当に日本の政治を歪めている。選挙制度ですから、今議席を持っている政治家に、その改革を期待しても、「泥棒に縄をなわせる」わけですから、所詮無理なんですね。本来であれば、国勢調査ごとに数式に基づき自動的に選挙区割が調整される。こうした法律で作るべきだと思っていますが、これができていない。そこで、日本の民主主義の基礎に憲法があって、最高裁判所が違憲立法審査権をもっている。しかし、我が国の最高裁及び裁判所は、この問題を逃げてきました。本来、比率が1.5を超えたら違憲だと言わなきゃいけない。選挙のたびに言い続けなきゃいけない。しかも、可能な限り速やかに判決をださねばなりません。それをやりつづければ、マスコミも、世論も、それを支持したでしょうから、この問題の解決が進んだと思います。しかし、最高裁判事になるためには、政権与党の覚えがよくないとなれませんから、自民党政権に批判的な判決を出す勇気ある裁判官はあまり偉くなれないという悪循環に陥っているということです。
一票の格差問題がなくなれば、必然的に政権交代が起こるだろうと思います。例えば、2000年の6月の総選挙では、都市部と県庁所在地では民主党が勝ち、郡部では自民党が勝ちました。政党別の総得票数も、単純に野党が上回っていました。一票の格差がなく、正常な選挙であれば、2001年の6月で自民党から民主党への政権交代はできていたのです。しかし、現実は、この格差があるために政権交代できなかった。
また、最近は、行政が肥大化をし、暴走し、横暴さや、傲慢さが批判をされています。しかし、なぜ今のような行政肥大が始まってしまったのか、その裏側には、司法が機能していないことがあると思います。例えば、消費者保護の目的から役所が様々な法律を作り、権限を有しています。なぜこれらの法律が必要なのか。その理由は弱者を救済するためであると役所は答えます。しかし、本来は、民法でも、詐欺だとか公序良俗違反だとか、いろいろと規定はあるわけですね。だったら、本当に詐欺だったらちゃんと詐欺として処理をすればいい。しかし、日本という国は裁判を起しても、まず裁判に金がかかる。しかも弁護士の数は足りない。裁判になって最高裁までかかると何年も時間がかかってしまう。結局のところ泣き寝入りをしなければいけない。司法が十分に機能していないから、正義の実現のためにはコストがかかる。あるいは時間がかる。だから、司法が弱い分、行政が事後救済ではなくて事前救済をしなければいけないわけです。このように、行政の権限が増えていくという現象の根っこには司法の問題解決力の欠如という問題があるのです。行政の権限を弱めていこうとすると、必ず、弱者の実質的救済という理由を、官僚側は、持ち出してくる。ですから、結局、行政改革を本当に進めるためには、司法改革が必要です。両方同時に進めていかないと、たんなるカオスになるだけで、泣き寝入りの人が増えるだけなのです。そうすると、やっぱり行革が失敗だったという話になっちゃうんです。行革の流れを後戻りさせないため、行革を進めるためにも司法改革を進めて、役人が色々理由付けして、守りぬいている権限と仕事の半分は、この司法改革が進むことによってなくなると思うんですね。
こうした一票の格差がいかに問題かということについての認識、政権交代がいかに重要か、政治の核心とはなにか?税金の収集と配分をきめること。などといった、民主政治の基礎について、有権者の理解が不十分であること。「有権者は寝てくれたほうがいい」と言った首相もいましたが、まさに、有権者の皆さんに目覚めていただく、そのための民主政治教育を社会全体が取りくんでいくことが重要です。とりわけ、大学とメディアの役割は大事です。不況は政治の無策が原因だとはいいますが、その原因は、そうした政治家を過半数選出しつづけている有権者にあるのだといったことについての国民的理解をどのように醸成していくか?そのための啓発・教育が、マスメディアも、政党も、不十分です。日本の初等中等教育において、そうした、民主政治教育が敬遠されてきたことも大きな原因の一つです。ですから、私は、教育改革なくして、政治改革、社会改革なしだと、思って、教育に力をいれているのです。


■富の再分配方法
 20世紀に入ってからの政府の役割の一つに配分と言う問題があります。結局、プライベートの領域から税金を徴収して、publicにあてて行く。お金持ちから税金をとって生活保障に再配分する。あるいは青年勤労世代から金を徴収して高齢世代にお金を再配分していく。これらは、政府の重要な機能の一つです。国の発展と安定のためには、その冨の再配分のパターンを、時々変えていかなきゃいけない。なぜならば、配分されている側はどんどん元気になるわけですが、取られている側はどんどんやせ細っていくわけです。細ってきたら、元通り元気になってもらうためにそのパターンを変えていかなければいけない。恒常的にこのパターンがいいんだと言うのはないわけです。パターンをその時々の置かれた国の状況によって変えていかなければいけない。この配分構造の変更を適切にやるということが大変に大事です。政権交代の意味もここにあります。今の問題で言いますとね、1990年代は失われた10年と言うことで、大変な不況が続いているわけですよ。1980年代はJAPAN AS NO1 といわれました。まさに僕はその時代に学生だった訳ですが、アメリカは大変に苦しんでいた時期です。アメリカは、そして、まさにその冨の配分構造を変えたことによって、再浮上を遂げるわけです。一方で、日本は見事に失速を続けていきます。今までの日本の構造は、東京、大阪、名古屋が稼ぎまくって、そのあがりを地方に配分していた。いわば経済援助です。国内版ODAです。公共事業として各地にばら撒いていた。東京の住民は、一人あたり100万円ぐらいを国庫に収めている。12から14兆円ぐらい収めていた。法人税は別でですよ。四人家族だったら一家族400万円なんですけど、このうち、東京に再配分されるのは国の予算は、とられた分の一割です。9割は地方へもってかれている。こう言うことを続けてきたもんだから、心臓である、東京や大阪に、あまりにも負担をかけ過ぎたがために今心臓はものすごく弱っているわけです。心筋梗塞寸前というのが今の状況なわけです。心臓マッサージが必要なんですよ。ここにもっと栄養を補給しないといけない。しかし、いまだに地方が東京から収奪すると言う事が続いているわけです。小泉さんが出てきても、その構造を変えることができなかった。
 では、経済政策的に何をすればいいかと。東京とか大都市圏でここを再活性させることなんです。経済って言うのは5つのポイントがあります。企業設備投資、公共投資、個人消費、住宅投資、そして輸出。これがうまくいって経済が発展するわけです。公共事業というのは、昔は経済効果が高かった。しかし今の公共事業は、郡部に偏っていて、経済波及効果はきわめて低い訳です。しかも700兆円という財政赤字がありますから、もうこれ以上増やすわけにはいかない。しかもこの700兆円が増えるとですね、国債の格付けは下がっていますから、国債の暴落ということが起こる。1990年代は、ずっと公共事業によって景気刺激をやってきた。でも、もうこの方法はとれない。企業設備投資、企業が新しいビジネスをやる、これが景気の機関車になっている。この設備投資が一貫して日本経済を引っ張ってきたわけです。しかし今は、ここが不良債権の問題で、収入があがっても、これを設備投資ではなくて借金の返済にまわしてきた。ここも設備投資にならない。なかなか伸びませんねということ。で、住宅投資ですが、これもいい刺激策としてきましたけれども、結局、少子化だし、1990年は180万戸の着工件数だったのが2000年は130万の着工数しかないこれは構造的に中々難しい。そして輸出振興。1960年の通産省だったらともかく、2000年の日本が輸出振興をやるわけにはいかない。輸出といっても、今、中国はすごい。人件費が10分の一、20分の一です。昔は安かろう悪かろうだったが今は物もよくなって非常に安い人件費でよい労働力が得られるようになった。中国の輸出も良くなって来た。だから日本の輸出もしんどくなっている。そうすると経済を立て直すためには個人消費はどうするかと言う話になります。すると人はどこに住んでいるかって言う話になります。大都市圏ですよね。個人消費はどうやったら増えますかっていうと、可処分所得と可処分時間を増やしていくしかありません。みんなが、お金を使わないで貯金にまわす理由は、将来、医療だとか年金が不安だということと、教育費や住宅費の負担が大きいということで、皆さん自由にお金を使わないわけです。個人消費刺激策は経済政策として大事なんです。公共事業を減らしてでも個人消費を増やすようにしなければならない。不安を解消して実質的な個人消費を増やしていくべきです。そこで僕が提案しているのは希望者全員奨学金制度。私立大学に子供を通わす親御さんの可処分所得の三分の一が学費で消えている。こんな国は日本しかないわけです。ドイツとかフランスは学費がタダ。ヨーロッパの税制は大変優遇しているわけです。アメリカではカレッジワークと言って、学業に関係のある仕事を大学が紹介してくれる。アメリカでは州立大学に通う人が7割、私立大学には三割。日本はこれが逆なんです。いかに日本の親が、大変か分ります。大学生、高校生を抱える家というのは家計が火の車なんですよ。これを救っていけば、100万円や200万円の余裕ができてきますから、これを別のところに使ってみようかなと言うことになる。個人消費が増えるわけですよ。先進国というのは、公共事業費と高等教育費が1:1なんですよ。イギリスなんかでは高等教育費がわずかながら公共事業費をうわまわっている。日本はこれが9:1なんです。


■新規事業育成の必要性
 そして日本の問題点のもう一つは新規開業がないってことですよ。新しいハイテクビジネスというか、そういうものがない。知的な人材、あるいは感性ある人材。そういうものがない。知的な財産、知的な研究開発、パブリックな知材と言うものをどれだけ開発できるかと言うことですよ。例えば、僕が思っているのはヒューマン・コミュニケーション産業ですよ。それは教育とか介護とか医療とか。対面でかゆい所に手が届く人的サービス。
これが次なる産業を引っ張っていくと考えています。教育と研究と言うものに金を投じていかなければいけない。新社会整備と言うものを僕たちは通産省時代からずっと言っているわけです。ハードではなくソフトの教育をしなければいけないということですね。このことを一貫して主張してきたわけですが、いつも、最終的には形にならない。うまくいかない理由は、政官業の癒着構造が原因なんです。結局、一票の格差の話に戻っていくわけです。私は、この国では死語になっている立憲主義という言葉をもう一度問いたいと思います。立憲主義の実現は、裁判所と上院の責任だと思っています。


■世界の政治構造が抱える問題点
 ここで二つ目の話、世界の政治構造が抱えている問題について話していきたいと思います。政府の問題、以前は夜警国家といわれてきたわけですけれども、今の国家は福祉国家というステージに入ってきています。法を守らせることや冨の再配分することでは解決しない問題が昨今増えてきた。第三の国家の役割として、コミュニケーションという役割がこれから重要になってくると思うんです。これまでは政治の役割と言うのは、例えば教育なら教育、環境なら環境でそれぞれの問題に関して、その対策費を増やせばよかったわけです。ところがいじめの問題などは、初等教育の予算を倍増しても改善される訳ではありません。環境は、例えば出雲での例を僕は観察したんですが、環境税を導入したら市民は最初だけ環境に良い行動をとる。だが、しばらくたつと元の木阿弥にもどってしまう。だからコミュニケーションが大事だと僕は思うようになったんですよね。
 結局いままでの政策と言うのは飴と鞭だったわけですよね。もっとも効果的に飴と鞭を配分すること。しかし、社会問題はどんどん増大している。そうするとひろい意味でのパブリックが担わなければならない問題はどんどん増えてくる。それには財源が必要ですから、税も徴収しなければいけない。民主主義国家ですから、どうしたって高満足高負担に流れていってしまう。日本は納税者を代弁する議員はいなくて、予算をもらっている人たちを代弁する議員が多いですから、どんどん予算要求が増大する。どの国でも先進国はそうならざるを得ない。という構造をかかえている。早晩、この構造は行き詰まってしまう。ですから、政策立案に低コスト高満足という発想を盛り込んでいかなければ駄目なんです。
 そんなことができるのかということですが、環境の話に戻しますが、ガラスびんリサイクルとか、リサイクルの法律を作ったときに考えたことなんですが、東京のごみ処理場はあと何年かで飽和するとよくいわれます。でも、ごみ処理場を新たに作ろうとすると、各地で反対が起こる。東京のごみ政策は袋小路にはまっています。この問題の最大の解決策は、なんだとお思いですか?

 一人一人がごみの排出量を減らす努力する。これしかないんです。分別回収、省エネ。一割減らせば、何千億円分の行政コストの削減できます。今まではアメと鞭だったんですけど、これではコストがたかい。アメとムチで人々に社会的行動を促すのではなく、深く理解をしてもらうことによって、多くの人々のボランタリ−な行動を促すという政策手法が必要になってきます。いかに飴と鞭を使わずに自発的にそれをやるべき環境を作る。そうすれば行政コストは減ります。では、人を対価なく自発的に行動させるためには、どうしたらいいか?方法は二つあります。一つは洗脳です。もう一つは教育です。しかし、私は、洗脳という手法はとりたくない。あなたが分別をすると、あるいは省エネをすると、社会にこういういい効果があって、それを皆がちゃんとやるべきことで問題が解決するんだということ。そして、社会におけるそれぞれの役割が何であるかを正確に理解してもらい、それによって、自発行動というものを促していく。こうしたことを新たな第三の政策手法として確立していきたいというのが私の思いです。
 しかし、私にも、解けていない問題があります。人々に自発的行動をしてもらうためには、教育の充実により、理解を深めてもらうということが不可欠です。しかし、これは必要条件ではありますが十分条件ではない。理解はするが、行動しない人、やってくれない人がいる。ここを皆さんも、これからいい知恵を編み出して欲しいし、考えて欲しい。ここがボランティア社会のガバナンスを作っていく際の鍵になります。いろいろ学んだことがフィードバックされ、評価される。教育というのも、そういった意味ではコミュニケーションそのものなんです。自分の周りの色んな人達が何かをやっていることを知ること。より社会の状況を知ること。情報を知ること。これ自体が、コミュニケーションです。
また、コミュニケーションがずっと継続しているのがコミュニティですから、私は、コミュニティやコミュニケーション、これが自発的な行動を起こさせるということの社会に必要なインフラ条件だと考えるわけです。


■熟議の民主主義 議論の必要性
 自発的な行動を起こさせる一番のきっかけは議論だと思っています。最近の政治哲学の中で、デリバラティブ・デモクラシーという概念があります。これは熟議の民主主義と訳したり、討議の民主主義と訳したりしますが、公共圏で議論やコミュニケーションを深めることによって自発的な行動を促せるのではないか。デリバラティブ・デモクラシーをプロデュースし、またはエディットしていく、それをどう作っていくかということが、次なる政治の最大の課題だと思います。
 僕が、なぜ東京で、参議院で立候補したかというと、この東京を熟議の民主主義のパイロット地域=さきがけにして行きたいと、真剣に思っているんです。
 東京なら出来る。東京の住民は政治に無関心です。なぜなら政官業の利益構造に漬かっていないから。地方はそのピラミッドの中にどっぷり漬かってしまっている。そこから逃れると生活は成り立たない。だから、地方の政治への関心が高いのです。
 東京の住人の多くは、アメとムチの利益共同体から解放され、今は、ばらばらになっています。このばらばらの中に生きる人達を、いかに繋いでいくのかということが次の東京の課題だろうと思っています。そこで、マスコミからではない、新しいコミュニケーションをつくりだす。正しい日本のあり方を議論してもらいたい。社会学習共同体。ソーシャル・ラーニング・コミュニティ・ネットワークというものを、東京中に張り巡らしていきたいと思っています。例えば東京には1300の中学校がありますが、一つづつに学習会組織を作り、地域の問題を議論させていく。僕はコミュニティースクール、地域の子供は地域が育てるという活動をやっています。学校の問題について、PTAも考える。親も、商店街の商店主も、OB/OGも、地域の人が皆参加してその学校をどうするのか考える。教育問題の解決策は、教育問題、現場に近い人が議論し、試行錯誤とフィードバックをしてまた議論する。つまり私はThink&Do Netということで、地域の人々をつないでいきたいとおもっています。
 例えば、0才児を区立保育園で育てようとすると、800万の税金がかかるというんですよ。しかし、地域コミュニティには、元気な60歳代はいくらでもいるわけです。そういう人達に、ボランティアとして手伝ってもらう。そうすればお年寄りにも生き甲斐が見つかって、
予算負担も軽減することが出来る。これが、僕が言っているコミュニティ・ソリューションなんです。この考え方は、育児にも、学童保育にも適用できる。子供達が成長したら、今度は子供達が老人の世話をする。何もボランティアを強制しているわけではなく、お互いに教育をしながら新しい社会が出来ていく。こういったコミュニティ作りをしていけば自然にボランティアは生まれてくるんです。
 そして1300もあれば、さまざまな事例があって、そのソリューションもたくさんでてくる。いいものは、それを真似ればいい。例えば町田では福祉介護でうまくいっているNPOの事例があるし、永福小学校では教育が成功しているし、飯田橋では医療が成功している。こういったコミュニティが集まって、ソーシャル・プロデューサーを育成する。そして、そうしたコミュニティ活動をサポートしていくのはメディアです。今、私はスズカンTVをたちあげましてインターネットを介して情報を配信しています。より多くの人にいろんな情報を配信しています。スクールとメディアとコミュニティ、こうしたことをキーワードにして、新しい社会づくりをトライしています。是非、若い人達にも、こうしたことに関心をもっていただければ幸いです。



Q. 老人は暇だからボランティアもするだろうが、忙しい若者にとってのインセンティブとなるものは何か?

A. 是非その辺は一生懸命考えていただきたいのですが、誤解ないように言うと、NPO活動に従事した人に対して、金銭報酬を払ってはいけないということは全くないんですよ。きちんとした貢献したり、知恵を出した人、汗をかいた人に対しては対価を払うということは全然許されるわけです。
 NPOと株式会社の違いは、株式会社なら出資しただけで配当がもらえたりするわけですが、NPOだと、寄付をして剰余金がでてもそれに対する配当をもらえるわけではない。ただ、そもそもモチベーションが金銭的対価だけではないと言うのがNPO活動です。今の若者が何に満足を感じるのか是非考えて欲しいと思う
 どうしてアメリカにボランティアが多いのかというと、やはりキリスト教の存在が大きいと思うんです。価値観の啓発というか、そういうものがあるのだと思います。日本には日本の考え方があってもいいと思います。

 95年から、東京と関西で若者塾みたいなことをやっていたんですけれども、僕自身は、同じように東西の学生に接していたつもりなのに、東からはベンチャービジネスが立ち上がってくる。西からはNPOが立ち上がってくる。なぜ、そういう違いがでてくるのか考えてみたんですが、その決定的理由は95年1月17日の阪神淡路大震災なんです。地震を経験している人達はやはり違うなと思います。だから教育と言うのは若いうちから色んな経験、体験など、学校教育以外からも受ける必要があると思います。教育と言うのは出会いの演出だと思うんです。ミャンマーに行って子供達に算数を教えてきた若者達と言うのはやはり価値観の上で進化があるとは思いますよね。そういったものを含めて教育だとおもうんですよ。だから君達は自分がどうしたらボランタリーな若者になれるか考えてください。


Q. 教育と洗脳の違いは?
A. 教育と言うのは他の考え方を許容するのが教育であって、洗脳は他の考え方を許容しない。

. ソーシャル・プロデューサーとは何でしょうか。
A. 社会に対して意味のあること価値のあることを具体的に形にできる人のことです。ビジネスやNPOとどう違うのかというとですね、僕は同じだと思っているんです。そこにやっぱり志があり、戦略があり金がある。色んなリソースがある。そうしたものを集めてきてそれをうまく組み合わせて今までなかったものを作り出す。今までなかった価値あることを生んでいく。すべての人がソーシャルプロデューサーになって欲しい。
 これからの自立、自発と言うものが必要だと思う。21世紀を乗り切るにはコミュニケーション能力と判断力が必要だと思う。判断力には3つあって「真、善、美」この3つが必要なんです。何が真で偽か、何が善で悪か、何が美で醜か。こういったものを判断できる力が必要なんです。そして判断は人によって皆違いますから。そこを理解しあって、コミュニケーションをする力。何がどうして違うのかと言うことを判断すること。そこで議論をしてコミュニケーションしてコラボレーションをしてクリエーションしていく。だから自立だけじゃなくて自発していかなければいけない。


. ソーシャル・ラーニング・コミュニティというものは昔からあったと思いますが、それに現代のネットワークは馴染むのでしょうか。リアルとバーチャルが馴染むのですか?
.従来は、地域共同体が中心でした。それが工業化のなかで企業コミュニティ中心社会になった。人間は、所属するコミュニティがなくなるのは恐怖なんです。日本の雇用問題を考えるうえで、所属コミュニティの喪失というのは、生活所得の確保とともに、考えていかねばならない問題なんです。
 幼稚園からずっと学校コミュニティを、切れ目なく、渡っていく訳です。その終着点は会社コミュニティになります。戦後日本が地域共同体の崩壊により会社コミュニティにリプレイスしました。そこでもう一回再組織化が行われた。だから会社が、本当は利潤だけ追求すればいいのに、そこで社員教育だとかありとあらゆる事をやってきたわけですよ。企業は納税だけしてればいいんですよ。ほんとうはね。でも、日本の会社は納税義務だとか雇用義務の他に、結婚式の受付やお葬式の手伝いまでやると言うコミュニティなんです。だからリストラされちゃうと、僕はどこに行けばいいんだろうというようなアイデンティティーの喪失が起こるわけですよ。社会不安を解消すると言う意味でも、今の会社コミュニティは必然として崩壊せざるをえない。そこに変わる地域共同体に戻るわけじゃないけども、やっぱ新しいコミュニティが必要だと言うことでソーシャル・ラーニング・コミニティと言うことをやっているわけです。情報社会におけるコミュニティには二つあるとおもいます。一つは従来型のリージョナル・コミュニティ、地域社会です。もう一つは、インタレスト・コミュニティ。興味のコミュニティ。そういうものを共有するコミュニティ。関心のネットワーク。これをサポートするのはインターネットでしょう。
 今までの社会構造は一旦、アンバンドルされるわけです。一度バラバラになる。アンバンドルした後に、リ・ネットワークするんだけれど、その際に、ネットワークするモチベーションとインセンティブが何かが問題です。
インターネットというのは魔法瓶なんです。100度まで熱した水を保温することが出来る。しかし、熱を上げるのは、対面のコミュニケーションに勝るものはありません。インターネットはコミュニケーションの熱気を保温はできます。しかし、加熱はやはりFACETOFACEじゃないとだめです。インターネットは5感のうちの二つしか使っていませんから。つまり視覚と聴覚。対面だと5感全部を使いますからね。
 インターネットの利点は、むしろ、メディアの個人化にあります。今まではメディアというものを個人が所有することは出来なかった。TV局を作ろうとするならば、そのために費用は100億はかかってしまう。ところが、私のようにインターネットTVであれば初期費用は100万円で出来てしまう。ラジオであればもっとやすく、個人で発信メディアを所有できてしまう。
 これは革命を起こしますよ。ラジオでルーズベルトが、TVでケネディが革命をおこしたように。インターネットでは私がおこしますけどね。

本日はどうもありがとうございました。

   2002年12月吉日 
 東京大学における特別講演 


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