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 予算委員会公聴会 〜よのなか科・地域本部、環境教育など

2005年03月15日 
 

鈴木寛君 主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
 藤原参考人、池谷参考人、貴重な御意見、ありがとうございました。

 まず、藤原参考人にお伺いをしたいと思いますが、先ほどの質疑でもございましたが、藤原参考人、多くの方から、(発言する者あり)あっ、公述人、ごめんなさい、公述人。いろんなところで同様の質問が上がっていたかと思いますけれども、よのなか科、今の中学生に死生観とか、こういう問題はなかなか教えてもないのに大変じゃないかという声はいろんなところでもう既にはおありになったかと思いますが、これ実際、確かに二十五回、一年間やっておられるわけで、四月一日の段階ではそうした御指摘
もあろうかと思いますが、それが事回数を追うごとに成長をしていく過程というのを公述人はごらんになっていられるわけでありますが、その辺りが実際どれぐらい中学生というのは伸び得るものなのかということを是非教えていただきたいと思います。
 と申しますのも、藤原公述人もおっしゃっていますが、教えていないと、学校では教えていないんですけれども、それこそテレビを通じて物すごい情報の洪水の中にもう既に十二年間あるいは十五年間さらされてきた子供たちをむしろそこから救い出すプロセスというような気もいたしますので、その点、一点お願いを申し上げたいと思います。
 それから二つ目の、これも藤原公述人でございますが、よのなか科あるいは地域本部、いい試みだけれども、まあこれは藤原さんだからできたじゃないかと、こういう御指摘がいろんなところであろうかと思いますが、このよのなか科あるいは地域本部というものがどの程度ほかの学校でもできるのかといった、このまず二点についてお答えをいただきたいと思います。

公述人(藤原和博君) まず、今の子供たちが置かれている状況で皆さんに是非御理解いただきたいこと、テレビの影響です。
 テレビが大体一日の視聴時間を調べますと、短い、調査でも二時間十五分以上見ています。つけっ放しで、二時間十五分というのは一番少ない値で出てくる調査です。もしゲームを加えて総ディスプレー視聴時間ということになりますと、三時間超えていると思います、楽に。ですから、三百六十五日で千時間超えていくんです。
 テレビ視聴に限っても八百時間以上になっていきますけれども、これに対して学校の授業が何時間やっているかということですね。改めて皆さんの頭にお入れいただきたいと思うんです。中学の授業で九百八十こまございます、一年間の時間割が九百八十個なんですね、数学とか国語とか。これは道徳も体育も全部含めてです。九百八十こま、五十分授業なので八百十六時間です。八百時間。道徳、体育、音楽全部含めてです。皆さんがお気掛かりであると思われる学力という、のにかかわる英数国理社五教科に限りますとたった四百時間です。四百時間対テレビ八百時間。情報の入手ソースとしてはもう勝負あったという感じなんですね。そういう意味では、学校でたとえ教えなくても、子供たちはそういう知識として断片的にはいろんなものがごちゃ混ぜに入っています。
 そういう意味で、その知識というものをもうちょっときっちり整理して、どう組み合わせれば実際の世の中に立つのよという、その考え方のプロセスそのものを教えるのがよのなか科なわけですけれども、これはもちろん、鈴木さんがおっしゃられたとおり、最初は特に男の子はもう何かワークシートに書き入れることもできないし、発言させると女の子は比較的自分の思ったままを言います、ぽんぽん。それが最初は感情論であっても言います。ですけれども、男の子は最後まで、正解を言わなきゃいけないんじゃないかという呪縛に捕らえられているんですね。
 学校教育を通じて子供たちが小中高と一貫して一般の教師の下だけに置きますとどうなるかといいますと、十二年間正解を教え続けられますので、どんな問題にも正解があると、で、それを言うのがいいのだと、そうじゃないことを言っちゃうと間違っちゃうから恥ずかしいというんですね。よのなか科の授業はこれ、この呪縛を解くことから始まります。正解は一つではないという、そこから始まるわけですね。で、その呪縛をどんどん解いていきますと、もう正解は一つじゃないんだと、何を言ってもいいから自分の意見を発言しなさいということを百遍言いますと、大体二十回目ぐらいから変わってきます。
 去年、よのなか科、千五百人ぐらいの見学者がございました。北は北海道から南は沖縄までの先生方や先生の卵、教育委員会の方、まあ本当に重立った方、みんないらしたんじゃないかというぐらい、元文科大臣もいらっしゃいました。今年、同じ数ぐらい来られています、三千名が目撃しているわけでございますけれども。とりわけ、二十回目ぐらいから生徒たちがワークシートに自分の意見を、調べ学習ではないんです、自分の意見を書き記し始め、最後には私が卒論がてらに出す質問がございます、十二問あるんですけれども。そのうちの一つ、人間の社会ではなぜ差別が起こるか、それを自分の考えで述べよということ。あるいは人間にとって宗教とは何かですね。宗教教育じゃないんです。仏教やキリスト教を教えるのは公立の学校ではできません。ですが、宗教とは何かを知らないで今世界で起こっていることは理解できませんので。そういう質問に四十五人のまあ生徒のうち三分の二以上が三行以上を、自分の考えを書いてくるようになります。
 私は、中学校を、中学生をなめてはいけないというふうに思っています。小学校の延長線上でやや難しいことを教えているから、みんな何かそのうそくささに反抗をし出す。そうじゃないでしょうか。何かこう大人になる過程で、何かうそくさいんですね、目の前に立っている先生と先生の教えていることが。だから、もっともっとリアルなことを教えてあげて、もっと大人と一緒に考えさせることで彼らは一皮むけるというふうに思っています。私は、四年間の実績がございますので、これをはっきりと申し上げることができます。

 それから、杉並区でよのなか科や地域本部という、これ、まあ私しかできないんじゃないかということでございますが、もう既に私が最初によのなか科で組んだ教師はこれを独立してやっておりまして、去年読売新聞の社会科部門の最優秀賞を取りました、彼が単独で取りました。
 それから、一緒に組んだ講師が別の学校でやっておりまして、杉並区の中では三校で今、よのなか科が進行しておりますし、さらに面白いことに、この三校で、地域本部に近い形で、地域の方がもう学校に入ってきて、学校にある部屋があって、そこでいろんな諸活動、先生方ができないことを組織化していくということが始まっています。で、なぜかこの三校が学校希望制でも指名を受ける形になりまして、保護者の注目度が上がっているというようなことが観察されます。
 以上です。

鈴木寛君
 ありがとうございます。
 それと、よのなか科、地域本部、まあこれも非常に面白い、チャレンジングな試みだけれども、一番の懸念であるいわゆる学力問題ですね。それで、学力の中にも情報編集力と情報処理力があって、情報編集力というのはなかなかこれ数値化しにくい能力でありますが、情報編集力が大事だと公述人はおっしゃいました。
   〔委員長退席、理事若林正俊君着席〕
 しかし、そのことが情報処理の、処理力を引き上げる、あるいは情報処理力を学ぶ意欲をかき立てるということにつながっているのかどうかと。そして、結果として、その処理力も編集力も含めて、いわゆる学力を中心とする、まあ体力も含むんですが、生きる力というものが具体的に付いているのかどうかというところがやはり一番の世の中の御関心だと思います。
 それで、和田中学校は、先ほど公述人のお話にもございましたが、三分の一が就学援助を受け、二割が欠損家庭というのは、これまあ都内といいますか、全国的に見てもかなり厳しい部類の学校に属する学校だと思いますが、ある大学の教育学部の調査をされた先生のお話を伺いますと、これは日本の教育政策の最重要問題ですが、二極化しつつあるこの家庭状況あるいは経済状況が厳しい子弟の学力の底割れをどう防ぎ、そしてその学力低位者をどう引き上げるかと、これは正に日本の教育政策の根幹だと思いますが、和田中学の場合は、二年の結果、そこにどうも成功していると。通常はその差が、いわゆるレベルツー、レベルワンのところがどどっと落ちちゃうんですが、そこが落ちずに、こう何といいますか、下げ止まっているというこの報告を受けて私もなるほどと思ったんですが、その秘訣はどういうところにあるというふうに、もちろんエネルギーを物すごく割いておられるというお話がありましたが、どこにあるというふうに分析しておられますでしょうか。

公述人(藤原和博君)
 実際に、丸二年前、私の就任と同時に、東京大学の基礎学力研究開発センターのチームが同時に入ってまいりまして、ずっと二年間観察、調査を続けています。途中で独自の学力調査までやっているんです。それから、生活習慣の調査もやっています。
 家庭的には非常に難しい子が多い中で、結果として出てきましたのは、通常はまあいわゆる階層別に、親の階層別にもうきれいにこうグラフがこう下へ行ってしまうんですけれども、和田中の場合には底支えが利いていまして、こうはなるんですが、ここから同じラインになっていくという、いわゆる底支えが利いていて、割れてないんですね、学力が。それがございます。
 もちろん、これは小学校の先生方の、特に九九あるいは分数、約分というようなところでの、三年生、四年生、五年生ぐらいでやっぱり集中的にきっちり教えているというようなことの成果もあると思います。それもございます。ですから、基礎学力、先ほど私が申し上げました情報処理力というようなところをきっちりやってらっしゃった先生が多かったというようなことも評価すべきだと思いますけれども。
 中学に入りましてからは、とりわけこの情報編集力にかかわるいろんなチャレンジをやっています。例えば、企業のビジネスマンと組んで一緒にオリジナルのクッキーを企画開発して、それを売ってみるというようなことをやったりですね。
 こういうことをやりますと、学力的には非常に厳しい子ですね、本当に漢字もなかなか書けないとか、数学も、例えば方程式分かるんだけれども、方程式は教えれば分かるんだけれども、AとBの前にある分数が足せないとか、約分できないという子いるわけですね。でも、そういう子でも頭のいい子いるんです。テストはできない、あるいは学力は全部測ってみると、低いですから、通信簿どうしても一とか二になっちゃったりしますけれども、直観的に頭のいい子いるんですね。で、こういう子がそういう授業では救われます。
 そして、ある種のまあ動機付け、要するに世の中と自分はかかわっていけるという、そういう自信のようなもの、私はセルフエスティームという言い方しますけれども、日本語で言えば、まあ自尊心と訳す場合あるんですけれども、そうではなくて、自己肯定感、自分はそれでいいんだという自分を肯定する感覚ですね、そういうものを持たせられているんじゃないかと思います。

 さらに、それを地域本部がやっております図書室、ここに毎日毎日、先生ではないですね、PTAの、OGですからPTAでもないんです、お母さんたちではなくて先生でもない、そういう意味では自分との利害関係が全くないおばさんたちが通ってくる。そこで例えば、後ろの方にカーペットが敷いてありまして、コミックを読んでもいいようになっているんですけれども、そういうところで本当に疲れて、のんびりしてですね、のんびりしながら何かおばさんたちと話をしているという、こういう居場所が実は和田中には一杯あるんです。校長室も開放しております。昼休みには生徒が、教室にいにくい生徒ですね、教室に居場所のない生徒が来たりするんです。
 そういうことでどうなったかといいますと、この二年間で保健室の利用が激減しました。これはデータで現れているんです。保健室に行くより居場所があるからですね。ちょっとぐらい熱あっても、ちょっとぐらい何か、ちょっといじめられて傷付いても居場所がある、この感覚がすごく大事だと思います。日本の子供たちの一番の問題はもうここに還元されると言ってよくて、自己肯定感が非常に弱い。これは親の育て方に物すごく何かあるんだと思います。

鈴木寛君 そういう中で、さらに、例えば先ほどもおっしゃっていましたけれども、土曜寺子屋に行ってお兄さんに勉強を教えてもらおうと、こういうことにつながるんだと思いますが、少し時間がございませんので、池谷公述人にお伺いをさせていただきたいと思います。
 大変に感銘をいたしました。これは教育の話ともつながるんですけれども、結局、この国の人々、我々の世代、そして次の世代あるいは我々の先輩の世代を含めて、やはりこの価値観、何が大事なのかと。これ、よのなかの授業ともつながるんでしょうけれども、要するに価値観の順番というものをこれかなり変えていかないといけないという、これ大変な、私は、環境教育が何の教育、どの教育よりも重要だとおっしゃった公述人の御意見に私も全く賛成をするわけでございますが、その環境教育というのは、もちろん環境のすばらしさに触れながら、究極的には人間にとって、あるいはこの世の中にとって、あるいは自分たちにとって何が大事なんだというところに至らなければいけないんではないかなということを思うわけであります。
 それで、例えば生物多様性ホットスポットを、海外のNGOが日本は最も破壊の危機に生態系がさらされた地域であるという、ある意味で不名誉な選定をされたわけでございますし、そういう中で、これちょっと漠然とした問題で、しかし次世代に期待をしなければいけません。
 それで、この次世代を育てる中でその親が変わっていきますんで、ある意味では、私は環境教育というのは非常に二つの意味でコアだと思っているんですけれども、これどのように進めていったらいいかということで、何か御示唆をいただければ有り難いんですが、よろしくお願いいたします。
 
公述人(池谷奉文君) やはり国づくりは、基本は教育でございまして、どういう教育を進めるかということに掛かっています。
 このときに、日本の教育は今のところ、例えば外国に勝つための最先端科学をどうするかとか、そのための数学、科学はどうするかというようなことの教育が非常に進んでいるわけでございますが、私は違うと思っています。その前に、人間とは何かという、人間は実は動物だというこの原点を忘れているんですね。特に、感性が育ちます小学校を卒業する辺りまで、この辺りまではきちっと、その自然体験というものをきちっと教える必要があるし、それから環境問題とは何かということをきちっと体験的に教える必要がございます。
 そういうふうなことから、私ども協会で進めています学校ビオトープといいまして、学校に自然をつくって教材として教えるなんということを奨励しておりますけれども、そういった人間の感性を育てるときに最も重要な、ある野生生物と共存する、また人と共存するという思いやりの精神ですね、この感性がきちっとしないところへ競争を教えたとき、世界平和なんて来ようがない話でございまして、やはりまず環境教育をすべての教育に優先するということが私は基本だろうと。それが終わった段階でいろんな先端科学を教えるということがいいのではないかなというふうに思っております。
 その辺のその価値観といいますか、今の大人たちが自分の利益だけを考えているところに問題があって、将来世代がどうするかということを今まで考えてこなかった、ここのところを変えていく必要があるわけですが、やっぱりこの辺の方向性というものをやはり政治家の方々がどう変えるかということでございますが、そのときに重要なのは、政治家と我々プロ集団のNGOとがどう協働するかということが世界的にも大変重要でございまして、政治家の方々だけではなかなか難しいんでございまして、我々プロ集団とどう政治家の方々がドッキングをして日本の社会を変えていくかということがこれから重要なことになってくると思っております。

鈴木寛君 今日は、藤原公述人からは地域本部というもの、その地域コミュニティーが学校を再生するんだと。私は、非常に重要なのは、これは二つのコミュニティー、一つは正に地域コミュニティー、もう一つはテーマコミュニティーというか、池谷公述人が御主宰をさせられているような、世界じゅうの広がりを持った、同じ志、同じ関心を持った人たちが時間と空間を超えてつながっていくと、こういうコミュニティーと、このコミュニティーが本当に車の両輪でうまく回っていくと、こういうことが大事だと思いますが、それを担うのがNPO、NGO、今お話がございました。
 私もNPO法の制定に少し携わったわけでありますが、約十年がたちます、法人格制度ができてから。しかし、まだまだ税制の面とかいろんな意味でこの欧米におけるNPO、NGOの獅子奮迅の働きから見るといろいろまだやるべきことがあるんではないかなというふうに思いますが、やるべきこと一杯ございますが、日本のこのNGO、NPO、これ本当に社会の重要な役割をもっともっと担っていただきたいと思っておりますが、そのために必要な政治がやれることは何かということで御示唆をいただければと思います。

公述人(池谷奉文君) NPO法ができまして大変私どもは感謝をしているわけでございますが、しかしあの中身は実は最も重要なところが抜けているんであります。それは、活動するには当然費用が必要でございますが、その部分をどうするかというところがないわけでございまして、諸外国を見ても分かりますように、要するに国民が社会安全保障という意味から税金というものを今、日本では一〇〇%行政に払っているんですね。
 しかし、これは行政の長が、例えばちょっと考え方が違ったりしますと問題を起こすことがあり得るわけですね。そのときに、国民としてはその税金の一部をNGOに払う、そのことによってNGOが公的な仕事をいたしますね。つまり、これが実は社会安全保障という意味でございまして、したがって日本におきましても国民の個人が又は企業が、主としてはもちろん行政にお金を払うということは主でございますけれども、少なくとも例えば五%前後はNGOに払ってもいいという制度をきちっとつくる必要があります。この辺はまさしく政治家の皆さんにお願いする以外にないわけでございまして、社会安全保障という意味からNGOの財源をどう確保するかということが最大の課題であろうと思っております。

鈴木寛君 藤原公述人にお伺いしますが、今環境教育をどうしようかという議論になっているわけでありますが、藤原参考人はよのなか科という新しいメニューというか、カリキュラムを作られましたが、是非これを御縁に環境について何か新しいそうした試みをしていただければなというふうに思いますが。

 やっぱり今、選択科目とか総合学習をもう減らそうじゃないかという声が出てきていますが、確かにこれ今、発展途上ですから、まだまだ改善すべきことあると思います。しかし、これは池谷公述人もおっしゃったように、やっぱり正にここでその子供たちの持っているものをすべてフル活用して、フル動員して、特に答えのない問題について考える力というか、我々これから正に不確実な時代で、持続可能なといいますが、これ口で言うのは簡単ですけれども、大変な、それこそ正解のない問題でありますし、一般化できるような話ではない。という中で、藤原公述人も人生科とか、あるいは池谷公述人は人間科とかおっしゃっていましたが、正に持続可能な発展という問題について次の世代にこの価値観、この必要性、そしてそれを担うNPO、NGOのありよう、あるいはそことの政治、あるいは社会との関係、まあこれ大変な、我々自体、自身も十分に消化して、し切っていない課題でありますが、むしろ次世代の方がその能力は私は高いと思いますが、そうした教育について何かお考えあればお聞かせいただきたいと思います。藤原公述人、そして池谷公述人、お願いいたします。

公述人(藤原和博君) 実際によのなか科のメニューについてはお手元の資料の最後の方にございますけれども、導入は確かに子供たちに非常に入りやすいようにハンバーガー店の店長になってみようというところが入っておりますが、全部見ていただければ分かりますが、どんどんどんどん深いところ入っていきまして、実際よのなか科は名付ければ人間科あるいは哲学科、あるいは人生科、市民科というようなものです、実態はですね。人間と様々なものとのかかわりを学ぶというようなことでございます。
 それともう一つ、学校というところは唯一緑が守られている場所なんですね。もう都市の緑は開発にほとんど勝てないわけですけれども、学校と寺社仏閣だけが緑を守っています。
 これを徹底的にどのように守り豊かにするかということを、和田中も果樹が非常に豊かな学校なので、大人と子供が一緒になってグリーンキーパーズというのを組織してやっています。そこで例えば選択理科で農業をやって、米を作って収穫するというようなところまでやっていますし、また、修学旅行はうちは京都、奈良ではなく福島に田植に行って、今年は、今度は稲刈りまで行くという、そういうこともやります。
 そういう複合的な学び、これを豊かに実現するためには選択教科や総合は欠かせないと思いますし、とりわけ中学で、皆さんが気にしていらっしゃる十五歳のときにやるPISA調査、もしこれが二〇〇六年にもう一度やったとして、その点数を本当に上げたいのならば、つまり本当の意味での広い意味での学力という、人生を生きるための学力を高めたいのであれば、中学においてはとりわけこの情報編集力の方をきっちりととらえるべきだと思います。
   〔理事若林正俊君退席、委員長着席〕
 ゆめゆめ小学校と混在しないようにしていただきたいと思いますし、小学校と一緒に乱暴な議論をしていただきたくない分野です。

公述人(池谷奉文君) もはや地球の大きさはもうどんなものかほぼみんな分かっていますし、今、ユビキタス時代を迎えまして、あっという間に世界じゅうに情報が入るそういうときに、もはや世界としてははっきり競争の時代ではなくて共存の時代を迎えているわけですね。この原点を国民に教える必要があるわけです。この原点が実は環境教育でありますね。
 だから、優先する必要があるということになるわけでございまして、私としては、これから学校の、各学校すべてに少なくとも学校ビオトープぐらい作って、その全教科の中で環境を取り入れた教育をしていくということが今後最も重要なものではないかなと思っております。

鈴木寛君 はい、ありがとうございました。
 終わります。



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