民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
四人の参考人の先生方、本当にありがとうございました。
私は、まず岩田参考人にお伺いをしたいと思いますが、私は実は民主党案の発議者の一人でもございます。先生がいみじくもおっしゃいました開放制の議論、 これを私どもも相当注目といいますか、そういう観点で今回の民主党案の特に教員免許改革法案を作らせていただいておりますので、問題意識はかなり共有させ ていただいていると思っているんですが。
すなわち、やっぱり二十万人ぐらい一年間に、二十万人弱ぐらいですか、教員免許が交付されていまして、ただ実際に教職に就くのは二万人弱程度、こういう 中で、今日、岩田参考人からお話のあったような教員実習の実態になっていると。ここはやっぱり変えていかなければいけないなということを私たちも考えてお りまして。
ただ、その中で、時間がなかったのでややはしょられたんだと思いますけれども、私たちが今回の国会に提出をさせていただいております教員免許改革法案で すら、修士を持った新採が入ってき始めるのは二〇一二年ぐらいからですね、ほとんどの人が修士で。それで、教員は百万人いるわけですから、毎年二万人程度 の修士が入ってきても、それから、もちろん、大体三十歳ぐらいの教員に対して追加的な教職大学院での修学というものを考えておりますので、それと相まって も、二〇二〇年ぐらいに大体半分ぐらいに、いわゆる修士の比率と学士の比率、もちろん免許制度は検定制度によってちゃんと旧免許体制から新免許体制に移し 替えますけれども、実態として申し上げると、修士卒と学士卒の比率は十五年たった二〇二二年でもほぼ半々、恐らく二〇三二年ぐらい、二十五年後ぐらいにお おむね修士という状況になって、完全修士となるのは恐らく二〇四〇年を超える、このぐらいの先の話を私たちが、それぐらいやはり一つの制度を変えるという のは時間が掛かると、こういうことでございます。
実は私、この六年間、文教科学委員会に所属しておりまして、既に法科大学院の設置に基づく正に法曹制度のいわゆる制度改革、それから薬剤師の六年化、こ の二つの作業をさせていただいたわけでありますが、いずれにしても、こうしたいわゆる職業と免許制の改革というのはそれぐらいの大変なことだなと。逆に申 し上げると、先生からもお話がございましたように、六十年ぶりに教育基本法の在り方を議論する、こういう大きな時期でないとこれぐらいの大改正はできない わけでありまして、もちろん当然これに伴って様々な社会資源も投入をしなければいけない、こういう議論をする私は大きなチャンスだと思って、修士制への移 行と、こういうことを打ち出したわけであります。
それで、お伺いしたいのは、ですから、民主党案とて、当分の間といいますか、二十年近くは学士、修士併存型なわけですね。修士に移行するといっても、こ の当分の間は学士、修士併存型でございまして、そこはもちろん御存じの上で御議論いただいているんだと思いますが、あえて逆に言うと、学士を残さなきゃい けない理由というんですかね、私たちは二〇四〇年段階では全部修士にしましょうと、こういうことを考えているわけですけれども。上級免許と下級免許の割り 振りの考え方は私たちもほぼ同じ考え方というか、非常に今日のことも参考にさせていただいて、同じような方向で対応していったらいいなと思いますので、そ このところの議論は全く異ならないんですけれども、先生は、完全修士型を目指すというよりも、仕上がりの二〇四〇年の段階においても併存型というようなこ とかなというふうに聞かせていただいたんですが、並列型ということで聞かせていただいたんですが、その理由をお教えをいただきたい。
確かに、よくフィンランドの例を私たちが引くものですから、フィンランドは小さいからと、こういう話があります。しかし、フィンランドというのは大体面 積においても人口においても北海道と同じでありますから、もしも日本の国のサイズが大き過ぎるので本来望ましい修士制というものが導入されないということ が理由なんであれば、教育行政というものを完全に道州制にゆだねればいいという話でありますから、日本じゅうがすべてフィンランド並みに道州制のサイズに すれば、フィンランドが可能だということであればそういうことなんで、それは地方分権の議論にゆだねればいいと思っているんですけれども。その辺りの、先 ほど少しお時間もなかったのではしょられたと思いますので、この教員基礎資格についていろいろな分析をされていらっしゃいます。私の御質問と、加えて、先 ほど説明をもう少しされたかったところもあるんではないかと思いますので、岩田参考人にその辺りのところをお願いを申し上げたいと思います。
十分な資料が手元にございませんので正確なお答えになるかどうかは分かりませんが、答えられる範囲でお答えいたします。
ちょっと私の考えといたしまして、基本的にはやっぱり現在の開放制の教員養成というのは大切だというふうに思っています。これは、たとえ一けた多い教員 の供給がなされているという実態があるにしても、豊富な人材を教育界に向ける手だてとしては非常に有効だろうというふうに思っています。ですから、この教 師予備軍といいますか、教育に関心を持つ市民というのは今後も大事だろうというふうに思います。ただ、それを正規のライセンスという形で保証するかどうか は、今後に検討の余地はあろうかと思います。
ただ、私がただ単にすぐに日本の教員資格の基礎を修士に置くということを考えておりませんのは、一つには、やはり修士をベースにすると学部段階の開放制 ということが崩れていく。やっぱり教員予備軍といいますか、教員の仕事に興味を示す大学生というののリソースを減らしていくことになるだろうと。実際に修 士レベルで教員養成を行える機関というのはそれほど多くないだろうということがまずあります。
それからもう一つは、民主党案ですと、教員の初職に就く年齢が随分高くなります。これは、専門性ということを考えると、長期の養成期間を必要とするのは やむを得ないことでもありますが、一方で、児童生徒を指導するに際しての若さといいますか、これは教師の貴重な力であります。それがたとえ未熟さを含むも のであっても大切だろうというふうに考えています。ですから、いたずらに年齢が高ければよいというわけではないということは、例えばドイツなどの例を見て も分かるだろうと思います。
それから、そうしますと、当面は修士修了の教員と、それから学士の教員との混在ということを前提に私は考えたいというふうに思っているんですが、その際 特に重要なのは、やはり学士のレベルではこれだけのことをやる、修士のレベルではプラスアルファしてこれだけのことをやるというような双方の内容の腑分け とそれぞれの充実だろうというふうに思います。
例えば、私ども教員養成大学で教員養成をやっておりますと、教科指導のところというのは学部段階である程度面倒は見られます。ところが、学級経営ですと かそういうことになりますと、どうしてもやはり短期の実習と学部教育だけでは十分な力を養うことはできません。ですから、そこの部分というのは、例えば一 定の経験の後に修士レベルの実践的な教育機関で行うというのは一つの合理性がある考え方のように思います。
ただ、そのとき少し考えなくてはいけないこととしては、日本の教員というのはヨーロッパやアメリカでいうプロフェッションとしての教師というのと若干違 う側面があるというところだろうと思います。つまり、教師というのは英語に訳すとティーチャーですけれども、日本の先生方というのは、実はティーチ以外の 仕事というのをたくさんお持ちになっていて、そちらの方が日本の教育問題の一番重要なところなのであります。
ですから、その教師像の違いというものを踏まえた上で、学士課程あるいは修士課程の教員養成教育の充実を考えていくことが重要だと思っております。
以上です。
ありがとうございます。
私たちも、ペーパーティーチャーは無駄だったのかという御議論は、むしろ貴重な蓄積だというふうに思っておりまして、例えばコミュニティ・スクール、こ れはいろんな定義がありますけれども、要するに地域ぐるみでいろいろなボランティアの力あるいはアシスタントティーチャーのような力も活用しながら教育力 を上げていくということも一方で推進をしておる際に、例えばペーパーティーチャーの地域住民のボランティアの方々がそうした地域の教育力を支えていただい ているという事実はございまして、かつまたそういう方々をもっと積極的に活用していきたいというのがコミュニティ・スクール構想の背景にもあるわけであり まして、日本の教育学、学士段階における教育学の教育というのは、より力を入れていきたいと思っております。
これは薬学のときの議論も同じで、日本人に薬理とか病理とか生理についての社会全体のリテラシーを上げるためには薬学教育も重要だ、あるいは法学の話で もそうで、リーガルマインドを持った人が世の中に多く輩出をされるということは非常に重要なことだと思っていますし、とりわけ最近、最も就職がいいのは、 東京大学の法学部ではなくて東京大学の教育学部であることからも分かるように、いろいろな組織を運営をしていこうとしたときには、実はその教育学の素養を 持った人材というものは、学校のみならず企業でもあるいは社会でも地域でも、ありとあらゆる現場で求められているということは、私も、恐らく岩田参考人も 共有しておりまして、そういう意味で、日本人全体が教育学あるいは教育心理とか発達といったことについての素養をしっかり身に付けていただくということ は、これは我々も大いに奨励をしたいと思っているんです。
ただ、開放制といった場合には、正に教員免許をその人たちに付与するのかしないのかと、こういう議論も絡んでくるわけでございまして、その中で、あえて そうした教育学部、学士卒に対して、ですから結局プロフェッションの水準をどこに置くかということだと思うんですね。そういう教育学部を出た人たちが学校 現場にいいチームティーチングの一員として入り込むことは、これは大いに結構だと思いますし、そのことは絶対必要だと思っていますけれども、そのチーム リーダーというものが恐らく教員だと我々は考えているわけでありまして、そうしますと、岩田参考人がおっしゃったチームを率いる力とか、あるいは教育事務 といったときにも、単なる事務能力ということではなくて、やっぱり教育とは何なのかとか教育現場は何なのかという、やっぱり教育学部を卒業した方々が教育 事務とか教育行政に携わるということも重要でありますので、そうした中でのプロフェッションという御議論を是非、さらに、今日も非常にいい議論をさせてい ただきましたので、今後お願いをできればと思いますが。
ちょっと時間もなくなりましたので、まず荒瀬参考人にお伺いして、もしも時間があれば、後で岩田参考人からまたコメントをいただきたいんですが。
荒瀬参考人に、私も門川教育長と大変懇意にさせていただいておりまして、堀川高校の本当に実践にはもう敬服をいたしておりまして、今日お会いできて大変 有り難いと思います。正におっしゃったようにパイロットだと、こういうことでありまして、京都市としてはこれを京都じゅうにということでございますが、私 どもとしてはこれを日本じゅうに広めたいと思っております。
それで、そのためにはやはり、先ほど見えない力をはぐくむためには見える力ということ、これもおっしゃるとおりだと思いまして、私は、日本の教育現場 で、本当に見えない、私も規範意識も必要だと思っております。しかし、この若者たちに規範意識とか高い志とかを身に付けていただくためには、やはり政府と して必要な社会資源の投入、人員、人材あるいは予算とか、それからやっぱり、堀川高校もあれだけのハードウエアもすばらしいものを投じているわけですね。 そういうやっぱり人、物、金、知恵というのは、これは経営資源の大前提でありますから、それを教育現場にやはり投入をするということが私どもの仕事だろう というふうに思っております。
もちろん、そういった京都市の御努力による社会資源の投入と、そして現場の先生方のリーダーシップと、それからやはり京都市の場合は政令市でありますか ら、非常にガバナンスといいますか、意思決定がかなりスムーズにといいますか、現場と教育行政との距離が近い、この二者でほぼ多くのことが決めることがで きるという、そういうガバナンス上の特徴も有利な点もあろうかと思うんです。
それで、お聞かせいただきたいのは、例えば人数とか、堀川高校のようなすばらしい教育現場をつくっていくには、やはり一校当たりといいますか、どれぐら
いの社会資源、人、物、金が必要なのかと。それを、あと高校の数とかあるいは教育現場の数、掛け算をすれば、我々が財務省に対して頑張らなければいけない
数字というのが見えてきますので、そのイメージを少しお教えいただければ有り難いな、教員数でありますとか、そうしたことでございますね、よろしくお願い
いたします。
ありがとうございます。過分のお褒めをいただきましたが、いろいろ課題も一杯ある学校でもございまして、日夜取り組んでおります。
今御質問いただきました具体的な人数というのが、生徒数掛ける何・何倍とか、〇・何倍とか、そういったことは、具体的にちょっとまだ出せるといいます か、学校の状況によっていろいろ違うと思います。実際にどういうカリキュラムを組んでいくのかということが学校の一番の仕事でありまして、そのカリキュラ ムを組んでいく際にどういった人数が必要になってくるのかというのは、それぞれの学校の状況に応じて出てくると思います。その数字を教育委員会が出せるよ うな、そういったことが可能になれば、これは本当にすばらしいと思います。
先ほども御議論の中に出ておりましたけれども、理科を十分に学んでいない人が小学校で理科を教えている可能性があるということでありますが、それならば 小学校に理科の専門の教員を入れればいいわけですね。そういう手だては、具体的に何をすればいいかというのは非常に明白な状態で今あります。それらが解決 されていくような教育政策を取っていただけると非常に有り難いというふうに思っております。
うちは、教員は数がよその学校に比べれば多いのですけれども、実際のところ、しかし、じゃ、教員は楽をしているかといいますと、そんなことはございませ
ん。朝七時から夜は十時まで、どうして十時までと申しますかといいますと、十時に機械警備を入れます。ですから、十時にはもう帰りなさいということを言い
ます。生徒がいる間というのは、教員は生徒と接する仕事が主です。生徒が帰ってから、教員が、生徒と接しない、生徒と接するための生徒には見えない仕事と
いうのをするわけです。それは非常に多忙です。手間暇はもう本当に学校は十分に今掛けていると思います。これは何も堀川独りではなくて、いろんな学校でそ
ういうお取り組みはなされていると思います。それを少しでも緩和していただけるような、少しでも生徒と向き合う時間を増やしていただけるような、そういっ
た手だてを是非お願いいたしたいと思っております。
ありがとうございます。
岩田参考人、もしも。
教員の、教育学の素質を持つ市民の社会的な活躍ということですけれども、これは、ありとあらゆる場面で広義の教育学というのは私は必要だというふうに考えております。
ただ、そのことと学校で児童生徒を教えるライセンスを持つということは、やはり区分して考える必要があるように思います。これはやはり公教育を支える人 材ということで、一定の教科及び教職に関する経験に対して公的な認定を与えるということですので、そこのところは考えていただきたい。
ただ、有資格者でありながら教職に就いていない人材、いわゆるペーパーティーチャーの中には、どうなんでしょう、これ条件を整えさえすれば、学校若しく
はそれに近いところで働ける可能性のある方というのは相当にいらっしゃるだろうというふうに思います。例えば看護師ですとか保育士などの世界では子育てを
終えた中年の方が復帰するというようなこと、あるいは初めてその職に入るというようなことが間々あります。それが教員にないのは、少ないのはなぜだろうか
というふうに考えてみることも今後の課題として重要だろうと思います。
じゃ、終わります。時間ですね。